によつて明日《あす》よりは、木賊《とくさ》ヶ原《はら》の朱目《あかめ》が許《もと》に行きて、療治を乞《こ》はんといふことまで、怎麼《いか》にしけんさぐり知《しり》つ、「こは棄《す》ておけぬ事どもかな、他《かれ》もし朱目が薬によりて、その痍全く愈えたらんには、再び怎麼なる憂苦《うきめ》をや見ん。とかく彼奴《きゃつ》を亡きものにせでは、枕《まくら》を高く眠《ねぶ》られじ」ト、とさまかうさま思ひめぐらせしが。忽ち小膝《こひざ》を礑《はた》と撲《う》ち、「爰《ここ》によき計《はかりごと》こそあれ、頃日《このころ》金眸《きんぼう》大王が御内《みうち》に事《つか》へて、新参なれども忠《まめ》だちて働けば、大王の寵愛《おおぼえ》浅からぬ、彼の黒衣《こくえ》こそよかんめれ。彼の猿弓を引く業《わざ》に長《た》けて、先つ年|他《かれ》が叔父|沢蟹《さわがに》と合戦せし時も、軍功少からざりしと聞く。その後《のち》叔父は臼《うす》に撲《う》たれ、他《かれ》は木から落猿《おちざる》となつて、この山に漂泊《さまよ》ひ来つ、金眸大王に事へしなれど、むかし取《とっ》たる杵柄《きねづか》とやら、一束《ひとつか》の矢|一張《ひとはり》の弓だに持たさば、彼の黄金丸如きは、事もなく射殺《いころ》してん。まづ他《かれ》が許《もと》に往《ゆ》きて、事の由来《おこり》を白地《あからさま》に語り、この件《こと》を頼むに如《し》かじ」ト思ふにぞ、直ちに黒衣が許へ走り往きつ、ひたすらに頼みければ。元より彼の黒衣も、心|姦佞《ねじけ》し悪猿なれば、異議なく承引《うけあ》ひ、「われも久しく試《ため》さねば、少しは腕も鈍りたらんが。多寡《たか》の知れたる犬一匹、われ一矢にて射て取らんに、何の難き事かあらん。さらば先づ弓矢を作りて、明日|他《かれ》の朱目が許より、帰る処を待ち伏せて、見事仕止めてくれんず」ト、いと頼もしげに見えければ。聴水は打ち喜び、「万《よろ》づは和主《おぬし》に委《まか》すべければ、よきに計ひ給ひてよ。謝礼は和主が望むにまかせん」ト。それより共に手伝ひつつ、櫨《はじ》の弓に鬼蔦《おにづた》の弦《つる》をかけ、生竹《なまだけ》を鋭《と》く削りて矢となし、用意やがて備《ととの》ひける。
 さて次日《つぎのひ》の夕暮、聴水は件《くだん》の黒衣が許に往きて、首尾|怎麼《いか》にと尋ぬるに。黒衣まづ誇貌《ほこりがお》に冷笑《あざわら》ひて「さればよ聴水ぬし聞き給へ。われ今日かの木賊《とくさ》ヶ原《はら》に行き、路傍《みちのほとり》なる松の幹の、よき処に坐をしめて、黄金丸が帰来《かえり》を待ちけるが。われいまだ他《かれ》を見しことなければ、もし過失《あやま》ちて他《た》の犬を傷《きずつ》け、後の禍《わざわい》をまねかんも本意《ほい》なしと、案じわづらひてゐけるほどに。暫時《しばらく》して彼方《かなた》より、茶色毛の犬の、しかも一|足《そく》痿《な》えたるが、覚束《おぼつか》なくも歩み来ぬ。兼《かね》て和主が物語に、他《かれ》はその毛茶色にて、右の前足痿えしと聞《きき》しかば。必定《ひつじょう》これなんめりと思ひ。矢比《やごろ》を測つて兵《ひょう》と放てば。竄点《ねらい》誤たず、他《かれ》が右の眼《まなこ》に篦深《のぶか》くも突立《つった》ちしかば、さしもに猛《たけ》き黄金丸も、何かは以《もっ》てたまるべき、忽《たちま》ち撲地《はた》と倒れしが四足を悶掻《もが》いて死《しん》でけり。仕済ましたりと思ひつつ、松より寸留々々《するする》と走り下りて、他《かれ》が躯《むくろ》を取らんとせしに、何処《いずく》より来りけん一人の大男、思ふに撲犬師《いぬころし》なるべし、手に太やかなる棒持ちたるが、歩み寄《よっ》てわれを遮《さえぎ》り、なほ争はば彼の棒もて、われを打たんず勢《いきおい》に。われも他《かれ》さへ亡きものにせば、躯はさのみ要なければ、わが功名《てがら》を横奪《よこどり》されて、残念なれども争ふて、傷《きずつ》けられんも無益《むやく》しと思ひ、そのまま棄てて帰り来ぬ。されども聴水ぬし、他《かれ》は確《たしか》に仕止めたれば、証拠の躯はよし見ずとも、心強く思はれよ。ああ彼の黄金丸も今頃は、革屋《かわや》が軒に鉤下《つりさ》げられてん。思へばわれに意恨《うらみ》もなきに、無残なことをしてけり」ト、事実《まこと》しやかに物語れば、聴水喜ぶこと斜《ななめ》ならず、「こは有難し、われもこれより気強くならん。原来彼の黄金丸は、われのみならず畏《かしこ》くも、大王までを仇敵《かたき》と狙《ねら》ふて、他《かれ》が足痍《あしのきず》愈《いえ》なば、この山に討入《うちいり》て、大王を噬《か》み斃《たお》さんと計る由。……怎麼《いか》に他《かれ》獅子《しし》([#ここから割り注]畑時能が飼ひし犬の名[
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