「さもありなんさもこそと、某も疾《と》く猜《すい》したり。さらば御身が言葉にまかせて、某が名も名乗るべし。見らるる如く某は、この辺《あたり》の猟師《かりうど》に事ふる、猟犬にて候が。ある時|鷲《わし》を捉《とっ》て押へしより、名をば鷲郎《わしろう》と呼ばれぬ。こは鷲を捉《と》りし白犬《しろいぬ》なれば、鷲白《わししろ》といふ心なるよし。元より屑《かず》ならぬ犬なれども、猟《かり》には得たる処あれば、近所の犬ども皆恐れて、某が前に尾を垂《た》れぬ者もなければ、天下にわれより強き犬は、多くあるまじと誇りつれど。今しも御身が本事《てなみ》を見て、わが慢心を太《いた》く恥ぢたり。そはともあれ、今御身が語られし、宿願の仔細《しさい》は怎麼にぞや」ト、問ふに黄金丸は四辺《あたり》を見かへり、「さらば委敷《くわしく》語り侍《はべ》らん……」とて、父が非業の死を遂げし事、わが身は牛に養はれし事、それより虎と狐を仇敵《かたき》とねらひ、主家《しゅうか》を出でて諸国を遍歴せし事など、落ちなく語り聞かすほどに。鷲郎はしばしば感嘆の声を発せしが、ややありていへるやう、「その事なれば及ばずながら、某一肢の力を添へん。われ彼の金眸《きんぼう》に意恨《うらみ》はなけれど、彼奴《きゃつ》猛威を逞《たくまし》うして、余の獣類《けもの》を濫《みだ》りに虐《しいた》げ。あまつさへ饑《うゆ》る時は、市《いち》に走りて人間《ひと》を騒がすなんど、片腹痛き事のみなるに、機会《おり》もあらば挫《とりひし》がんと、常より思ひゐたりしが。名に負ふ金眸は年経し大虎、われ怎麼《いか》に猟《かり》に長《た》けたりとも、互角の勝負なりがたければ、虫を殺して無法なる、他《かれ》が挙動《ふるまい》を見過せしが。今御身が言葉を聞けば、符《わりふ》を合《あわ》す互ひの胸中。これより両犬心を通じ、力を合せて彼奴《きゃつ》を狙《ねら》はば、いづれの時か討たざらん」ト。いふに黄金丸も勇み立ちて、「頼もしし頼もしし、御身|已《すで》にその意《こころ》ならば、某また何をか恐れん。これより両犬義を結び、親こそ異《かわ》れこの後《のち》は、兄となり弟《おとと》となりて、共に力を尽すべし。某この年頃諸所を巡りて、数多《あまた》の犬と噬《か》み合ひたれども、一匹だにわが牙に立つものなく、いと本意《ほい》なく思ひゐしに。今日|不意《ゆくりな》く御身に出逢《であい》て、かく頼もしき伴侶《とも》を得ること、実《まこと》に亡《なき》父の紹介《ひきあわせ》ならん。さきに路を照らせし燐火《おにび》も、今こそ思ひ合はしたれ」ト、独《ひと》り感涙にむせびしが。猟犬は霎時《しばし》ありて、「某今御身と契《ちぎり》を結びて、彼の金眸を討たんとすれど、飼主ありては心に任せず。今よりわれも頸輪《くびわ》を棄《すて》て、御身と共に失主狗《はなれいぬ》とならん」ト、いふを黄金丸は押止《おしとど》め、「こは漫《そぞろ》なり鷲郎ぬし、わがために主を棄《すつ》る、その志は感謝《かたじけな》けれど、これ義に似て義にあらず、かへつて不忠の犬とならん。この儀は思ひ止まり給へ」「いやとよ、その心配《こころづかい》は無用なり。某|猟師《かりうど》の家に事《つか》へ、をさをさ猟の業《わざ》にも長《た》けて、朝夕《あけくれ》山野を走り巡り、数多の禽獣《とりけもの》を捕ふれども。熟《つらつ》ら思へば、これ実《まこと》に大《おおい》なる不義なり。縦令《たと》ひ主命とはいひながら、罪なき禽獣《もの》を徒《いたず》らに傷《いた》めんは、快き事にあらず。彼の金眸に比べては、その悪五十歩百歩なり。此《ここ》をもて某常よりこの生業《なりわい》を棄てんと、思ふこと切《しきり》なりき。今日この機会《おり》を得しこそ幸《さち》なれ、断然|暇《いとま》を取るべし」ト。いひもあへず、頸輪を振切りて、その決心を示すにぞ。黄金丸も今は止むる術《すべ》なく、「かく御身の心定まる上は、某また何をかいはん。幸ひなる哉《かな》この寺は、荒果てて住む人なく、われ曹《ら》がためには好《よ》き棲居《すみか》なり。これより両犬|此処《ここ》に棲みてん」ト、それより連立ちて寺の中《うち》に踏入り、方丈と覚しき所に、畳少し朽ち残りたるを撰《えら》びて、其処《そこ》をば棲居と定めける。

     第六回

 恁《かく》て黄金丸は鷲郎《わしろう》と義を結びて、兄弟の約をなし、この古刹《ふるでら》を棲居となせしが。元より養ふ人なければ、食物も思ふにまかせぬにぞ、心ならずも鷲郎は、慣《なれ》し業《わざ》とて野山に猟《かり》し、小鳥など捉《と》りきては、漸《ようや》くその日の糧《かて》となし、ここに幾日を送りけり。
 或日黄金丸は、用事ありて里に出でし帰途《かえるさ》、独り畠径《はたみち》を辿《たど》り往《ゆ》
前へ 次へ
全23ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
巌谷 小波 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング