それぞれ異つた生活をしてはゐるが、どちらも自尊家で、自尊家につきものの孤独性をもつてゐるところはよく似てゐるやうです。むかし厭世哲学者のシヨペンハウエルは、イタリイの都に旅をして、ところの人達――わけて美しい婦人達が、自分に対しては一向冷淡なのにひきかへて、同じ時同じ都に来てゐた厭世詩人のバイロンに対しては、まるで王侯をもてなすやうな歓迎ぶりなのを見て、ひどく機嫌を損じて、そこそこに旅をひきあげたといひますが、蟹とひき蛙とはどちらも曲者《くせもの》揃ひで、不器量なことにかけてもいい取り合せですから、お互に機嫌を悪くしあはないですむことです。
木の上ではまた、雨蛙と蝸牛とが雨を楽んでゐます。雨蛙は聞えた独唱家ですが、蝸牛はまた風がはりな沈黙家です。一人は葉から葉へと飛び移りますが、一人は枝から枝へと滑り往きます。雨蛙は芸人のやうに着のみ着のままでどこへでも出かけますが、蝸牛は霊場めぐりの巡礼のやうに、自分の荷物は一切合財ひつくるめて、背にしよつて出かけます。二人はたまに広い、青々した芭蕉の葉の上で出逢ふことがありますが、互に目礼のまま言葉一つ交さないでさつさと往き過ぎてしまひます。彼等はどちらも腹一杯雨を楽み、雨を味ひ、また雨に戯れるに余念がないのです。ぐづぐづしてゐると、雨がいつ霽れ上るかもわからないのを知つてゐますから。
夜がふけて、湯槽にのんびりと体をのばしながら、しとしとと降り続く雨の音を聞く気持は私の好きなものの一つですが、それにはこの頃の雨がもつともふさはしいと思ひます
底本:「日本の名随筆43 雨」作品社
1986(昭和61)年5月25日第1刷発行
1991(平成3)年10月20日第10刷発行
入力:加藤恭子
校正:今井忠夫
2000年10月13日公開
2005年6月26日修正
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