見つけるなり、その青春の霊感に打たれた。私は、それでも新進作家らしく、傲然《ごうぜん》とドア近くの椅子に腰かけたのであるが、膝がしらが音のするほどがくがくふるえた。私の眼が、だんだん、うすくらがりに馴れるにしたがい、その少女のすがたが、いよいよくっきり見えて来た。髪を短く刈りあげて、細い頬はなめらかだった。
「なにになさいます?」
 きよらかな声であると私は思った。
「ウイスキイ。」
 私は、誰かほかのお客がそう答えたのだと思った。しかし、客は私ひとりなのである。そのときは、流石《さすが》に慄然とした。気が狂ったなと思った。私は、うつろな眼できょろきょろあたりを見まわした。しかし、ウイスキイのグラスは日本髪の少女の手で私のテエブルに運ばれて来た。
 私は当惑した。私はいままで、ウイスキイなど飲んだことがなかったのである。グラスをしばらく見つめてから、深い溜息とともにカウンタア・ボックスの少女の方をちらと見あげた。断髪の少女は、花のように笑った。私は荒鷲《あらわし》のようにたけりたけって、グラスをつかんだ。飲んだ。ああ、私はそのときのほろにがい酒の甘さを、いまだに忘れることができないのである。ほとんど、一息に飲みほした。
「もう一杯。」
 まったく大人のような図太さで、私はグラスをカウンタア・ボックスの方へぐっと差しだした。日本髪の少女は、枯れかけた、鉢の木の枝をわけて、私のテエブルに近寄った。
「いや、君のために飲むのじゃないよ。」
 私は追い払うように左手を振った。新進作家には、それぐらいの潔癖があってもいいと思ったのである。
「ごあいさつだわねえ。」
 女中あがりらしいその少女は、品のない口調でそう叫んで、私の傍の椅子にべったり坐った。
「はっはっはっは。」
 私はひとくせありげに高笑いした。酔ぱらう心の不思議を、私はそのときはじめて体験したのである。

        五

 たかがウイスキイ一杯で、こんなにだらしなく酔ぱらったことについては、私はいまでも恥かしく思っている。その日、私はとめどなくげらげら笑いながら、そのまま「いでゆ」から出てしまったのであるが、宿へ帰って、少しずつ酔のさめるにつれ、先刻の私の間抜けとも阿呆《あほ》らしいともなんとも言いようのない狂態に対する羞恥《しゅうち》と悔恨の念で消えもいりたい思いをした。湯槽にからだを沈ませて、ぱちゃぱちゃと湯をはねかえらせて見ても、私の部屋の畳のうえで、ごろごろと寝がえりを打って見ても、私はやはり苦しかった。わかい女のまえで、白痴に近い無礼を働いたということは、そのころの私にとって、ほとんど致命的でさえあったのである。
 どうしよう、どうしよう、と思い悩んだ揚句《あげく》、私はなんだか奇妙な決心をした。「初恋の記」――私が或る新進作家の名前でもって、二三行書きかけているその原稿を本気に書きつづけようとしたのであった。私はその夜、夢中で書いた。ひとりの不幸な男が、放浪生活中、とあるいぶせき農家の庭で、この世のものでないと思われるほどの美少女に逢った物語であった。そして、その男の態度は、あくまでも立派であり、英雄的でさえあったのである。私は、これに依って、ひそかに私自身の大失敗をなぐさめられたいと念じていたのであった。昼に見た「いでゆ」の少女に対するこらえにこらえていた私の情熱が、その農家の娘に乗りうつり、われながら美事な物語ができたのである。私はいまでもそう信じているのであるが、あのようなロマンスは、おそらくは私が名前を借りたその新進作家ですら書けないほどの立派なできばえだったのである。
 夜のしらじらと明けそめたころ、私はその青年と少女とのつつましい結婚式の描写を書き了えた。私は奇しきよろこびを感じつつ、冷たい寝床へもぐり込んだ。
 眼がさめると、すでに午後であった。日は高くあがっていて、凧《たこ》の唸《うな》りがいくつも聞えた。私はむっくり起きて、前夜の原稿を読み直した。やはり傑作であった。私はこの原稿が、いますぐにでも大雑誌に売れるような気がした。その新進作家が、この一作によって、いよいよ文運がさかんになるぞと考えたのである。
 もはや私にとって、なんの恐ろしいこともない。私は輝かしき新進作家である。私は、からだじゅうにむくむくと自信の満ちて来るのを覚えた。
 その日の夕方、私は二度目の「いでゆ」訪問を行った。

        六

 私が「いでゆ」のドアをあけたとたんに、わっと笑い崩れる少女たちの声が聞えた。私はどぎまぎして了った。ひらっと私の前に現れたのが、昨日の断髪の少女であった。少女は眼をくるっと丸くして言った。
「いらっしゃいまし。」
 少女の瞳のなかに、なんの侮蔑も感じられなかった。それが私を落ちつかせた。それでは、昨日の私の狂態も、まんざら大失
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