ほど離れた場所に居れる筈がない。私が、当前[#「当前」に「ママ」の注記]、山の上を散歩していたということは、私の不在証明《アリバイ》にさえなるかも知れぬ。このような滑稽な錯覚が現実にままあるらしい。きこりは私を忘れて、山のきこり仲間にふれ歩いた。それから雪の死体を海から引きあげるのに三時間以上をついやした。断崖のしたの海岸まで行くのには、どうしても、それだけの時間がかかるのである。私は、ひとりぼんやり山を降りた。ああ、しかし内心は、ほっとしていたのである! これでもう何もかも、かたがついた。私はなんの恥辱も受けない。もう東京へ帰ろう。雪が、ゆうべ私のところへ泊ったことは誰も知らぬ。私は、いま、ただ朝の散歩から帰ったところだ。「いでゆ」でも雪のほかは、私のにせの名前も居どころをさえ知らない。知れないうちに東京へ帰ろう。東京へ帰ったならば、もうしめたものだ。ああ、私が本名を言わずに、他人の名前を借りたことが、こんなときに役立とうとは。

        十

 万事がうまく行った。私は、わざと出発をのばして、まちの様子をひそかにさぐった。雪が酒に酔って、海岸を散歩して、どこかの岩をふみすべったのだろう、と言うことにきまった。雪は海の深いところに落ちこんだらしく、さのみ怪我《けが》していなかったようだ。客を送って出たというがそれは雪の酔っぱらったときの癖で、誰をでも送って行くのだそうだ。そんな、だらしない癖が、いけなかったと、宿のものも言っていた。その客は、東京のひとだそうだ、となにげなさそうに言っていた。もはや、ぐずぐずして居られぬ。私は、ゆっくり落ちつきながら、尚いちにち泊って、それから東京へ帰った。
 万事がうまく行ったのである。すべて断崖のおかげであった。断崖が高すぎたのである。もし、十丈の断崖だったら、或いは、こんなことにならなかったかも知れぬ。しかし、私ときこりの見た雪は、ただぼんやりした着物の赤い色だけであった。一瞬にして、ふたつの物体が、それこそ霞をへだてて離れ去り得る、このなんでもない不思議が、きこりには解けなかったのであろう。
 それから、五年経っている。しかし、私は無事である。しかし、ああ、法律はあざむき得ても、私の心は無事でないのだ。雪に対する日ましにつのるこの切ない思慕の念は、どうしたことであろう。私が十日ほど名を借りたかの新進作家は、いまや、ますます文運隆々とさかえて、おしもおされもせぬ大作家になっているのであるが、私は、――大作家になるにふさわしき、殺人という立派な経験をさえした私は、いまだにひとつの傑作も作り得ず、おのれの殺した少女に対するやるせない追憶にふけりつつ、あえぎあえぎその日を送っている。
[#地付き](完)



底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(昭和64)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:石川友子
2000年4月19日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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