の卓絶したる芸風は、維新後より現在に亘る西洋崇拝の風潮、もしくは滔々《とうとう》たる尖端芸術の渦の底に蔽われて、今や世人から忘れられかけている。翁も亦《また》、不言不語の間にこの事を覚悟し満足していたらしい事が、その生涯を通じた志業の裡に認められる。そうして今は何等の伝うるところもなく博多下祇園町順正寺の墓地に灰頭土面している。墓を祭る者もあるか無しの状態である。その由緒深い昔の私宅や舞台も、見窄《みすぼ》らしい借家に改造されて、軒傾き、瓦辷り、壁が破れて、覗《のぞ》いて見ただけでも胸が一パイになる有様である。
 しかし翁の真面目はそこに在る。翁の偉大さ崇高さは、そうした灰頭土面の消息裡に在る。生涯の光輝と精彩とを塵芥、衆穢の中に埋去して惜しまなかったところに在る。
 画に於ける仙崖、東圃、学に於ける南冥、益軒、業に於ける加藤司書、平野次郎、野村望東尼は尚|赫々《かっかく》たる光輝を今日に残している。しかも我が梅津只圓翁の至純至誠の謙徳は、それ等の人々よりも勝れていたであろうに、何等世に輝き残るところなく黙々として忘れられて行きつつ在る。
 繰返して云う。
 現在の日本は維新後の西洋崇
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