いているような気持ちになる」
 と云って皆を笑わせていたが、全く子供ながらも、そんな感じを受けた。ツクヅク翁の紡績会社振りに驚嘆させられていた。
 喜多六平太氏は右に就いて筆者に斯《か》く語った。
「ナアニ。声量の問題じゃない。只圓の張りが素晴らしく立派だったからですよ。全く鍛練の結果ああなったのですね。ですから只圓が死ぬと、皆が皆彼の張りの真似をして、間拍子も何も構わないで、ただ死物狂いに張上げるのです。これが只圓先生の遺風だ。ほんとうの喜多流だってんで、二人集まると怒鳴りくらが初まる。お能の時など吾も吾もと張上げて、地頭の謡を我流でマゼ返すので百姓一揆みたいな地謡になっちまう。その無鉄砲な我武者羅《がむしゃら》なところが喜多流だと思って喜んでいるのだから困りものですよ」
 又、梅津利彦氏(現牟田口利彦氏)は翁の型についてこう語った。
「二十歳ぐらいまではただ鍛われるばっかりで、何が何やら盲目《めくら》滅法でしたがそのうちにダンダン出来のよし悪しがわかって来て、腹の中で批評的に他人の能を見るようになりました。只圓の力量もだんだんわかって来るように思いましたが、同じ力と申しましても、只
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