時に相当の天狗様であったらしい。或る時はじめて翁に謡のお稽古を願ったら、翁は一応稽古を附けて後でブッスリと云った。
「モウお前は稽古に来るには及ばぬ。私はお前の先生にはアンマリ上等過ぎる」
 これは二三人から聞いた話だから事実としてここに書いておく。腹が立つと、それ位の事は云いかねない翁であったから。
 ところが感心な事に、その劣等生氏は、それでも断然|屁古垂《へこた》れなかった。それ以来降っても照っても頑強に押しかけて来たので、翁もその熱心に愛《め》でたものであろう、叱り叱り稽古を付けてやったが、翁が歿前かなりの重態に陥って、稽古を休んでいる時までも毎日毎日執拗に押かけて来て、枕元で遠慮なく本を開いて謡い出したので、とうとう翁が腹を立てた。
「そう毎日来ては堪らん。大概にしなさい」
 稽古腰のあれ程強い翁に白旗を上げさせたのは古往今来この人一人であろう。同氏は現在梅津正利師範の手で有伝者に取立てられて、大勢の弟子を持っていてなかなか忙しいという。

          ◇

 翁は痩せた背丈の高い人であった。五尺七八寸位あったように思う。日に焼けた頑健な肉附と、どこから見ても達人らしい風格を備えたシャンとした姿勢であった。肩が張って、肋骨が出て、皺《しわ》だらけの長大な両足の甲に真白い大きな坐胝《すわりだこ》がカジリ附いていた。
 冬は地味な、粗末な綿入の上に渋茶色のチャンチャンコ、茶色の小倉帯、紺飛白《こんがすり》の手縫足袋。客が来るとその上からコオリ山(灰白色の紬《つむぎ》の一種)の羽織を羽織った。
 麻製渋色の胸当て(金太郎式の)は夏冬共に離さなかった。

          ◇

 後頭部に心持ち黄色い白毛が半月型に残っているのを綺麗に櫛目を入れていた。顔は長大で、鼻が西洋人みたように鷲型で、白い眉が房々として、高い小鼻の左右に眼窩が深く落凹《おちくぼ》んで、心持ち内斜視の老眼が鋭く光っていた。口は大きく一文字に閉じて、凹んだ両眼と、巨大な顎と共に一歩も退かぬ一徹の気象をあらわしていた。
 横頬から特に前頭部へかけて黒い斑《まだら》の長生※[#「やまいだれ+徴」、第3水準1−88−60]《ちょうせいちょう》が群着していた。又首筋へ労働者でなければ見受けられない深い皺が重なり合っていたが、これは翁自身の過激な肉体的習練の結果か、又は好物の畠イジリと網打ちの結
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