焼けた翁の顔が五分芯のラムプに赤々と光る。
そこで例の一合足らずの硝子燗瓶が傾いて翁の顔がイヨイヨ海老色に染まる。ニコニコと限りなく嬉しそうにしている翁の前に筆者は頭を下げてお暇《いとま》をする。
「おお。御苦労じゃった。又来なさい」
◇
只圓翁は重い曲を容易に弟子に教えなかったばかりでなく、謡の中の秘伝、口伝はもとより、稽古の時に叱って直した理由なぞは滅多に説明しなかったらしい。後で質問しても、
「インマわかる。稽古が足らん稽古が足らん」
とか何とか追払われたものらしい。高足の人達が、
「私も老年になりましたから一つ何々のお稽古を……」
とか何とか云って甘たれかかっても、
「稽古に年齢《とし》はない。年齢は六十でも稽古は孩児《あかご》じゃ」
なぞと手厳しく弾付《はねつ》けられたという話が時折耳に這入った。又、
「ここのところはどういう心持ちで……」
なぞと大切な事を尋ねても、
「尋ねて解るものなら教える。尋ねずとも解る位にならねば教えてもわからぬ」
と面皮を剥《は》いで追っ払ったり、
「心持ちなぞはない。教えた通りに真直《まっすぐ》に謡いなさい。いらざる心配しなさんな」
なぞと叱っているのを見受けた。
◇
ところで翁の弟子で一番熱心な前記斎田惟成氏はよく翁の網打ちのお供をした。魚籠《びく》を担いで川までお供して行く途中の長い長い田圃道の徒然《つれづれ》なままに翁と雑談をしながら何気なく質問をすると、翁は上機嫌なままに大事な口伝や秘伝を不用意に洩らすことがあった。どうかした時には師匠能静氏から指導された時の有益な苦心談などを述懐まじりで話して行く事もあったらしい。
これは斎田氏の稽古の秘伝で、後にその心持ちで謡ったり舞ったりして翁から賞められた事が度々あったので、とうとうこの斎田氏の秘伝のお稽古法が露見してしまった。そうして、それから後斎田氏は高弟連中から色々な質問を委託されて翁の網打ちのお伴をしなければならなくなったが、時に依ると翁が意地悪く口を緘して一言も洩らさない事があった。
「昨日は不漁《しけ》じゃった」
と斎田氏が翌る日、他の弟子連中に云う。知らない者は翁のホテの魚の串を見て……あんなに沢山獲れているのに……と思ったらしいが、何ぞ計らん。斎田氏の不漁《しけ》は秘伝口伝の不漁であった。(林
前へ
次へ
全71ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
杉山 萠円 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング