の者は、今度はちっとも気を落しませんでした。最早《もはや》この鏡を取らなければ、香潮と美留藻が死んだ甲斐もなく、王様のお望みも絶えてしまうのだ。死んでもこの鏡を引き上げなければ、第一亡くなった二人に対して済まないと、死に物狂いになって夜半過ぎまで引いていますと、その中《うち》に雨も止み風も絶えて、湧き返る波の上の遠くに、電光《いなびかり》がするばかりとなりました。
すると間もなく海の上に何か真黒な大きなのが出て来て、舷《ふなばた》にドシンと打《ぶ》っつかった様子《ようす》ですから、ソレッとばかり皆が手を添えて、船の上に引き上げました折柄、又一しきり吹き出した風に忽ち空の黒雲が裂けて、磨《と》ぎ澄《す》ましたような白い月の光りが、颯《さっ》と輝き落ちて来ましたから、その光りで初めて浮き上ったものの正体を見ますと、皆の者は一度にワッと叫んで飛び退《の》きました。
真黒く、又真白く湧き返る波の飛沫《しぶき》を浴みて、船の上に倒れているものは、見るからに凄い程光る白銀《しろがね》の鏡で、ギラギラ月の光りを照り返しています。そうしてその真中には顔や手足の肉が落ちて、濡れた髪毛《かみのけ》をふり乱して、眼を剥《む》き歯を噛み出した生きた骸骨《がいこつ》のようなものが、呼吸《いき》をぜいぜい切らして、あおむけに寝ているではありませんか。皆の者はその恐ろしさ物凄さに、皆ペタペタと座ったまま、暫くは口も利けず、身体《からだ》も固くなっていますと、今の怪物はなおも烈しい呼吸を続けて、唇を笛のようにヒューヒューと鳴らしていましたが、やがて片手で身体《からだ》の綱を解《ほど》いて、立ち上ってあたりを見まわしまして、皺枯《しゃが》れた声で――
「美留藻は帰ったか」
と尋ねました。その時その白い歯は、月の光りに輝いて、皆を嘲《あざけ》り笑っているように見えました。
この声を聞くと、今まで腰を抜かしていた藻取|爺《じい》と宇潮は、こいつが何でも香潮と美留藻を殺した化物に違いないと思い詰めましたから、急に元気が出て立ち上りまして――
「これ化物、美留藻も香潮も帰って来ぬぞ」
「大方貴様が喰ったのだろう」
と掴みかからんばかりに睨《ね》め付けました。
その声を聞くと又怪物は急に嬉しそうに――
「オオ。そう云う貴方はお父さん、私はその香潮です。そして美留藻はまだ帰らぬと仰《おっ》しゃるのですか」
と早《は》や声を震わしています。二人は香潮と聞いてハッと驚きましたが、併しこんな化物が香潮などとは思いも寄りませぬから、異口同音に怒鳴り付けました――
「馬鹿な事を云うな。香潮は貴様のような化け物ではない」
「そんな事はありませぬ。私は香潮です。私が香潮です」
と云いながら狼狽《あわて》て宇潮の傍へ走り寄ろうとしましたが、折から又もや雲の間を洩る月の光りに自分の姿がありありと鏡の中へ映りました。その姿をチラリと見ますと、化物は今度は自分の姿に驚いて、キャッと云うとそのまま眼をまわして、又もや湧き立つ大浪小浪の間に真逆様《まっさかさま》に落ち込んでしまいました。そうしてあとには只|白銀《しろがね》の鏡だけが、ありありと月の光りに輝いて残っておりました。
十一 金銀の舟
香潮《かしお》は浅ましい姿になって、不思議に生命《いのち》を長らえまして、一度は人々の前に姿を見せましたが、憐れや化物と間違えられて、そのまま又、湖の波の間に沈んでしまいました。美留藻《みるも》も最初から湖に沈んだまま姿を見せませぬ。とうとう二人共死んだ事に定《き》まりましたから、人々は泣く泣く船を陸《おか》の方へ漕ぎ返しました。二人の形見の鏡を載せて、漕いで行く二人の両親の心地《こころもち》はどんなでしたろう。又|彼《か》の鏡を車に載せて、都へ送る両方の村人の思いはどんなでしたろう。やがて藍丸の都の王様の御殿へ着いて、御殿の大広間で皆が王様にお目通りを許されて、この鏡を取った前後《あとさき》のお話しを申し上げた時、この珍らしい鏡というものを拝見に来ていた、沢山の貴《たっと》い人々の内で、泣かぬ者は一人もありませんでした。そうして両方の村の人達には、王様から沢山の御褒美を下さるし、又香潮と美留藻の両親《ふたおや》には、約束通り金の船と銀の舟を一艘|宛《ずつ》賜わってお帰しになりましたが、二人の親達はもしも今二人が無事に生きていて、この金銀の船を見たならば、どんなにか嬉しかろうと云って歎きました。
藍丸王はこのお目見得が済むと、直ぐに紅木大臣を呼んで二つの事を申し付けました。一ツはこの鏡を自分の居間の壁に掛けて、まわりに美事な飾りを付ける事。それからも一ツは国中に布告《ふれ》を出して、「今度藍丸王様がお妃を御迎え遊ばすに就《つい》ては、国中で一番の美しい利口な女を御撰みになる
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