丸王様も今は濃紅姫の美しさをお忘れになったから、あのような菅無《すげな》い事を仰せられたのであろう。けれども又今度御覧になれば、屹度昔のように御気に入るに違いない。そしてもし濃紅姫がお目見得に出ないために、他の賤《いや》しい女がお妃になるような事になると、かえって王様に対して恐れ多い事になる。だから濃紅姫が今度のお目見得に出るという事は、十方八方のために大層都合のよい大切な事で御座いますと、さも苦しそうな呼吸《いき》の下からあらん限りの言葉を尽して勧めました。
両親も聞いて見れば成る程|道理《もっとも》ですから、一つは濃紅姫の可愛さと親の贔負目《ひいきめ》で、やっとの事それに定《き》めて両親揃って濃紅姫の室《へや》へ相談に出かけました。
そのあとへ青眼先生が、女中の案内を受けて大急ぎで遣って参りました。先生は今まで宮中より他にはどこにも行った事がなく、この家に来たのはこれが初めてで、宮中に来る紅木大臣と紅矢の他は一度も会った事のない人ばかりでしたから、一々皆に叮嚀に挨拶を致しましたが、只美紅姫だけは自分の室《へや》に隠れていて、姉様《ねえさま》の濃紅姫が呼んでも出て来ませんでした。
美紅姫は青眼先生が来たと云う声を聞くや否や、もしやあの夢の中の怖いお爺さんではあるまいかと思ったので御座います。そうしてもしそうなれば、今の自分の身の上はどこからが夢でどこからが本当だかいよいよ解からなくなる。いよいよ不思議に恐ろしくなる。何にしても青眼先生という人が、あのお爺様かどうか見て見なければわからないと思いました。けれどももし真正面《まとも》に顔を合わせて、又悪魔と間違えられでもしては大変と思いましたから、そっと扉に隙間を作ってそこからそっと眼ばかり出して様子を見ておりました。
その前を通る青眼先生の顔を一眼見ると、美紅姫は思わずアッと声を立てるところでした。その肩まで垂れた青い髪毛《かみのけ》、その青くて鋭い眼付、青い髯《ひげ》、黒い顔色、そうしてその黄色い着物、皆あの夢の中のお爺さんにそっくりそのままで、歩きぶりまで違ったところはありません。美紅姫は恐ろしさの余り身体《からだ》中の血が凍ったように思いました。
そうして慌てて扉を閉じて、内側から鍵をしっかりとかけて、ほっと一息安心すると、そのまま気が遠くなって、床の上に倒れてしまいました。けれども家中は今、上を下へと混雑しているところでしたから、気の付く者は一人もありませんでした。
ところが似せ紅矢の美留藻も青眼先生の顔を見ると、同じように慄《ふる》え上る程驚きました。そうしていよいよあの夢が嘘でない事が解かりましたが、それと一所に青眼先生の眼付が如何《いか》にも鋭くて、もしやあの夢の中であの銀杏《いちょう》の葉を容《い》れた袋の底を鋏《はさみ》で切り破った女が自分だという事が繃帯の上からわかりはしまいかと心の中《うち》で恐れた位でした。けれども又よく考えて見ると、青眼先生がもしあの美紅姫を一眼でも見ていれば、妾《わたし》より先に姫を疑う筈なのに平気でこの家に遣って来るところを見ると、青眼先生はこの家に初めて来たので、まだ美紅姫の顔を見た事がないのかもしれぬ。それとも初めからあの夢を見ないのであろうか。イヤイヤそんな筈はない。美紅姫があの夢を見たように、この青眼先生も、それからあの白髪の乞食小僧も屹度あの夢を見たに違いない。それでなければ理屈が合わなくなる。そしていよいよ見たか見ないかは、そのうちに美紅姫とこの青眼先生と出会わして見ればわかる事だ。とにかく今のところではこの青眼先生はまだ一度も美紅姫と顔を合わせず、又自分が似せ紅矢という事も気が付かずにいるに違いないと、ほっと安心をして気を落ち付けました。
けれども青眼先生の方はそんな事は露程も気が付きませぬ。徐《しずか》に進み寄って美留藻の似せ紅矢に敬礼をしまして、それから先ず脈を見ましたが何ともないので、これならば死ぬような事はあるまいと安心をしました。ところがその次に顔の繃帯を取ろうとしますと、似せ紅矢は無暗に痛い痛いと金切声をふり絞って、どうしても繃帯に触らせませぬ。青眼先生は仕方なしに、薬籠の中から油薬を出して、繃帯一面に浸《し》ませて、こうやっておけば直《すぐ》に痛くないように繃帯が取れるであろう。それからこの薬は一滴程|嘗《な》めておくと一週間眠り続ける事が出来る薬だ。その間には大抵痛みも取れるであろうから、あとであまり痛みが烈しいならば、飲ましておくがよいと云って、小さな瓶《びん》を一ツ病人の枕元に置いて行きました。
青眼先生が帰ってから暫くの間、美留藻は痛みが取れたように見せかけてスヤスヤと眠っておりました。ところがやがて正午《ひる》頃になって、看病のために残っていた女中が一寸の間居なくなりますと、美留
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