土産が出来ると考えたからであった。
ペンキ塗りの小ぢんまりした文化住宅に、「マツイ」と小さな表札を見つけて案内を乞うと、都合よく御主人在宅であった。本紙記者の名刺を出して応接間に通されると、卓子《テーブル》の上に博多人形の「マリア」が置いてあったので一寸《ちょっと》嬉しかった。
松居博麿氏は青白い貴公子然とした人で、大島の三つ揃いを着て、叮嚀な口の利きようをする人であったが、記者が大正社交クラブの事を尋ねると、又かというような情ない笑い方をした。弱々しい咳払いをして云った。
「どうも困りましたね。あれは僕の知らない事なんで……」
記者はポカンとなった。
ところへ、恐ろしくハイカラな金紗の奥様が這入って来た。こぼるるばかりの表情をして、御主人の話を引き取った。
「まあ。矢張りあの事で――! どうも困っちまうんですよ。宅の名前が通っているものですから、あんなお名前と一緒に並べ立てて(下略)」
記者は恐ろしくテレて来た。
「ヘエー。それじゃ誰があんな計画をしているかお心当りでも」
「それがないので困っているんですよ。警視庁の知り合いにも電話で頼んでいますし、(中略)方々からの質問でホントにウンザリしているのですよ。そうしてあなたはやはり九州の……まあ、こんな処まで……よくおわかりになりましたのね……まあ、九州《おくに》の方はいい処だそうですね……まあ、およろしいじゃありませんか……今紅茶を……」
記者は這々《ほうほう》の体《てい》で此家《ここ》を出た。
出ると同時にサッパリ訳がわからなくなった。
ポケットから例の案内書を出して見つめながら、頭をゴシゴシ掻きまわしたが、わからないものはどうしてもわからない。それかといって、今一度引返してあの奥さんを詰問する勇気もなくなっていた。
翌《あく》る日から記者は用事の序にポツポツと賛助員の諸名士を訪問して見た。一軒は不在で、二軒は多忙であった。しかし三日目に四軒目の家の玄関に立った時、又新発見をした。
玄関の敷石の打水の上に、赤い紙に刷った「文化生活研究会案内書」というのがヘバリ付いていた。その発起人の名前は半分以上違っているが、最後に松井広麻呂というのがあって、上に(申込書)と割り註がしてある。
記者は昂奮した。すぐに中野の文化住宅に行ったら、もう遅かった。「マツイ」の表札はあったが、家はガラ空きであった。近所の人にきいても、どこに行ったか知らぬ――家主は蒲田に居るという。
記者は取りあえずガッカリしたが、なお念のためきいて見ると、松居氏の家には若い男女がチョイチョイ出入りしていたそうな。一度レコードコンサートらしいことをやっていたが、夜遅くまでかかったかどうかは知らないと云った。それから、交番の巡査にきいて見ると、子供上りのような巡査で、その文化住宅の番地だけしか知らなかった。
郵便局へ名刺を出して見ると、親切に答えてくれたが、
「あの家はあまり手紙を出しません。来るのはかなり来ますが」
というのが結論であった。
記者はそれでもあきらめが付かなかった。
「マツイ」氏が名士であろうがなかろうが、そんな事はどうでもよくなった。
「何のためにこんな宣伝ビラを配るか」
という疑問が晴れるまではと、不断に気を配っていた。
ビラを配る男さえ見れば、傍へ寄って何のビラかのぞいて見た。しかし運悪く、「松居」もしくは「松井」の名前を刷込んだのは一度も見当らなかった。
その中《うち》にウンザリして来た。
成るべく東京の同業の助力を借りずに材料を集めようと決心していた記者も、とうとう兜《かぶと》を脱いで、或る雑誌記者にこの事を尋ねたら、その記者は腹を抱えた。
「君はまだ不良少年少女の仕事が資本化した事を知らないね」
と云った。
この時記者が受けた暗示は極めて大きなものであった。この暗示に依って得た材料が、この中にどれ位あるかわからない。少なくとも、今まで信ぜられぬと思った事が信ぜられるようになったと同時に、疑問にしていた事が一時に解決されたような気がしたのであった。
財産を持って遊んでいるような若夫婦の中には、道楽に少年少女を集めて喜んでいるのがあるという。中には夫婦了解の上で、夫人は少年を、又、主人は少女を堕落させて楽しんでいるのもある。色餓飢道、畜生道を通り越した堕落ぶりだという。但、松居氏もそうかどうかは未だに疑問である。
信ぜられぬという人は信じなくとも差支えない。
記者は敢《あえ》て健全なる家庭の人のためにこの失敗記を書いておく。
まだある。
不良のブル化
現在の東京の不良少年少女は明らかにブル化している。当局でも寒心している位である。
昔の不良少年少女は上流社会の子弟のために一敵国を作っていた。上流社会の子女を誘惑したり、誘拐したり、又は脅迫したりして、金品を巻き上げるとか、堕落させるとかするのを不良少年少女と考えられている位であった。
ところがこの頃では上流のお坊ちゃまやお嬢様がこれをやる。しかも、捕まっても大抵は揉み消されるから、いよいよ増長する傾向がある。
一方、父兄や母姉にも、なっていないのが多い。自分たちの不品行を素っ破抜かれぬ交換条件として、その子女の不良行為を補助しているのさえある。
上流社会の婚約が社会の環視の裡《うち》に破談になった。その理由がどうしてもわからぬ。又は、名士の結婚に深刻な非常手段でケチをつけた少女があった。その少女の遺言が闇から闇に葬られた……というような話をチョイチョイ聞く。その裡面には、大抵、こうした上流の家庭の不浄化が臭気を洩らしている。
美人の奥様の子弟には必ず不良少年が居るというが、今の東京の時代相では一部の真理があると考えられる。
しかし、これも信ぜられぬという人は信じない方がいいであろう。
「秘密」の魅力
次に少年少女の文通に就いて見聞した事を述べる。
若い男女は妙に「秘密」を好む。「秘密」という言葉が、「性」という言葉と因縁があるばかりではない。秘密という言葉そのものが、若い心に対して云い知れぬ魅惑を持っているからである。
大人は自分勝手な秘密をいくらでも持ちながら、子供に対してこれを隠す。しかも子供が大人に対して秘密を持つことは許さぬ傾きがある。これに対する若い心の反逆の意味もあろう。一種の好奇心もあろう。自分達も秘密を持ちたいという欲望もあろう。秘密を持つと何だかえらくなったような気がするというような関係もあろう。
今の若い異性間の交際、殊にその取りかわす手紙にはそんな気分が濃厚にあらわれている。
A何号よりとか、BBBよりとかいうのはもう古い。暗号、隠語、切手の貼り方、封筒の色、封筒の使い方、又は花言葉なぞが盛に研究されている。そんな事を書いた新聞や雑誌を切り抜いて持っているものもある。男が女文字の女名前、女が男文字の男名前なぞいうのは古手で、この頃は邦文タイプライターを利用するのもある。
奇妙な店頭の封筒
東京市中到る処の縁日や露天には、封筒や書簡箋の店が多い。三角や五角、六角、八角、又は蹄形、不整形なぞと、形はいうまでもなく、色や模様までいろいろある。これによって秘密通信の暗号はいくらでも作れる。
中には、如何《いか》がわしい絵や文句が透かしになっているもの、又は内側に印刷してあるのもある。二重袋の外を水色、内部を紅色にして挑発気分を見せたり、外を灰色に、中を黒にして病的思想を象徴したりしているのもある。
切手を貼る処を破線(……)で囲んで、中に七号位の活字で恋の格言、投げやりな思想、耽溺気分の歌なぞを刷り込んだのは殊に眼新しい。
「ちござくら、そばによりそう、うばざくら、ともにうきよの、はるをこそおしめ」
「みだれなと、いとあさましく、くくられし、はぎなぞに、みを、よそえては、なく」
「少年の恋は、禿頭のように捕えにくい、ツルツルして毛が無いから」
なぞいうのがある。呆れ返っても足りない。
冒険式文通
こんな手紙を郵便で出してはけんのんというので、秘密に渡す方法が又様々に研究されている。あまり詳しく書くと方法を教える事になるから差し控えるが、棒に捲いて銀紙を冠せてチョコレートに見せかけたもの、ヘアピンにナイフで彫り込んだものなぞいう念の入った手紙を、警察に引かれた少年少女が持っていたという。中には好んで奇想天外の手段を執る者も殖えて来たらしいが、大方矢張り探偵小説や活動写真の影響であろう。
一例を挙げると、女学校の廊下にかかった先生の帽子に文《ふみ》を挟んで、女学生に取らした私立専門学校の生徒が居る。
その生徒は、約束の時間に普通の紳士の服装《なり》をして、課業中の人の居ない廊下に這入った。帽子を探すふりをして、右から何番目かの茶の中折れに文を入れた。
放課後までその帽子に手を触れる者は無い筈と、安心して帰ったら、豈計《あにはか》らんや、その帽子の先生が急用で自宅に帰ると、発見して、中の文句まで読んでしまった。そのまま封を直して帽子に入れて、急いで学校に行って、旧《もと》の処にかけておいて、放課後調べて見ると無くなっていた。
その翌る日、その先生は又|旧《もと》の処に自分の帽子を掛けて、今度は見張りをつけておいたら、昨日《きのう》の男学生が返事を受け取りに来たから直ぐに取って押えた。何とか彼《か》とか弁解をする奴を相手の女学生と突合わせると、流石《さすが》に両方共一度に屁古垂《へこた》れてしまった。そこで厳重に将来を戒めて家庭に引渡した。
「活動の影響だ。人を馬鹿にしている」
と、その先生は素敵に憤慨して記者にこの話をした。
「そればかりではありますまい。そんな冒険をやれなければ、この頃の女性に持てないからでしょう」
と記者が云ったら、
「成程、それも面白い観察だ」
とうなずいていた。
少年少女の手紙の内容の進歩
七八年前の事……。
ペン習字手本というような小冊子が流行《はや》った。その中に随分|非道《ひど》い文句を含んだのがあった。
「あなたとあの野を散歩した時、足袋が露でグショグショに濡れました。いっその事二人共身体中グショグショになればいいとおっしゃった事はお忘れでないでしょうね」
なぞとあるのを、福岡の或る教育家が見て驚いて、
「ペン習字は絶対に禁止せねばならぬ。家庭でも取締ってもらうつもりだ」
と記者に話した事がある。
又、ついこの頃の事……。
或る地方の高等学校で、生徒が女と文通したのを先生が罰した。
昔ならその生徒を同級生が擯斥《ひんせき》するか、ブン殴るところを、反対に級全体で同情して先生に迫り、「罰した理由」を責め問うたという事実がある。
こんな風に時勢が違って来ているのだから、男女学生の手紙の内容も進歩しているにきまっている。左に掲げるものは、警視庁の後藤四方太氏が記者に示してくれた少女の手紙で、いずれも昨年の夏迄に不良少女や友達に与えられたものである。氏名だけは仮名にしたが、ほかはすこしも筆を入れてない。挑発的なところには係官の手でインキの線が引いてあった。○○○にしようかと思ったが、却《かえっ》て挑発するから同じ事だし、東京人の堕落時代が如何に戦慄に価するかを証明する力が薄くなるからそのまま掲げた。
これ等の手紙を妙な意味の眼で読まれるのは記者の本意でない。そこに見え透いている少女の青春の危機と、そこにあらわれている恐ろしい時代相を見て、心の底から戦慄し、戒慎してもらいたいためである。こんなものに注意を払うことを好まぬ人々が多いために、その子女の堕落が益《ますます》深まって行く事を、これ等の手紙が明らかに証拠立てている事を理解して頂きたいために敢て掲げるのである。
少女のレター
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楽しみにしていたレター本当にサンキュー。逗子も暑くて、全く世の中がいやになってしまうわ。休みなので人が一杯。アンチソラチンのオバケが来たこと。
さしも広かった浜べもすっかりかくれ
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