で、セット(待合)にでもローケーション(旅行)にでも来る。時と場合では宴会の席上にも来るが、芸妓のように「アラチョイト」式の活躍はしない。如何にも芸術家然と気取っていて、先ず飾り物といった風である。その癖《くせ》金のかかる事帝劇女優以上だと云う人もあるし、以下だと云う人もある。但、これは宴席の飾り物としての事で、第二次の御馳走としてのねだんは帝劇の以下だと聴いた。いずれにしても、将来、文化的の意義を以て益《ますます》流行する事請合いである。
その中《うち》政府から勲章が下がるようになるかも知れぬ。
或る大カフェーの一例
女給のブローカーは店の番頭や帳場のお神、老女給なぞが受け持っているときいた。しかし実際に当って見ると、どれがどうなるのか一寸見当が付きにくい。
見当の付いた一例ではこんなのがある。それは浅草の或るカフェーである。
広い天井一パイの花や紅葉の間に昼夜輝く電燈の下を、十七八から二十歳前後の揃いも揃ったのが二十人程、友禅模様に白エプロンの結び目高やかに右往左往している。ここの女給は、ほかの処みたようにキャッキャとしゃべったり、笑ったりしない。皆伏し目勝
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