棒を持ったりして衝突してあるいた奴はどれ位あるか知れぬ。
 東京の不良少年がこんなに乱暴になったのは、明治初年以来の事だそうな。日清戦後当時、一時気が荒くなったが、これ程ではなかったと警視庁では云っている。
 あまり甚だしいので、警視庁令で三寸五分以上のものを所持する事を禁止したが、これはかなり効果があったという。
 この殺伐な傾向は間もなく脅迫、泥棒、掻《か》っ浚《さら》い式に変化し、続いて急激な速度で淫靡な傾向とかわって来た。
 その淫猥化の速かさ、深さ、広さは真に驚くべきものがあった。殊に昨大正十三年の春から夏へかけては、その絶頂に達したかと思われた。

     不良性は如何にして地方に伝わるか

 どこでもそうであるが、不良少年少女の活躍が最も眼に立つのは春から秋へかけてである。そうしてその活躍の影響が地方に及ぶのは、夏と冬と春の休暇後である。殊に冬の間は、表面上不良性の潜伏期であると同時に、内実は蔓延期であるらしい。東京の不良性を受けた者が、冬と春の二度の休暇に帰って来て、地方の子女に直接に病毒を感染させる時季であるらしい。
 昨年の夏から秋へかけての東京の子女の不良ぶりが
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