いる。
 東京の市内電車が素敵に混雑《こ》むのも便利である。同じ吊り革にブラ下ったり、膝っ小僧で押合ったり、いろんな事が出来る。
 省線の電車も朝と夕方は一パイである。郊外から通う人が大部分なのと、停留場が遠い関係から、市内のようにザワザワしない。その間《かん》に眼と眼と見合ったのが度《たび》重なって、心と心へという順序である。
「殊に不良少年は郊外の方が多いのですよ。毎日見ているとよくわかります。後の方が空いているのに前のに乗ろうとしますから、無理に止めたら、泣き出した娘がありました。誰かと約束してたんだなと、あとで気が付きました」
 と一人の車掌は語った。
 音楽や舞踊、英語等の先生の処で出来た社交関係も随分多いらしく、新聞や雑誌によく出る。
 浅草の奥山、上野の森、その他の公園の木といわず石といわず、若い人々の眼じるしにされて飽きている。上野の西郷銅像の前に夜の十時過ぎにしゃがんでいれば、待っている男女、連れ立って去る男女の二十や三十は一時間の中《うち》に見付かる。西郷さんが怒鳴り付けたらと思う位である。
 バラック街は電燈で一パイであるが、裏通りには歯の抜けたように暗い空地がある。そのほか、公園の暗《やみ》、郊外の夜の木立ちをさまよい蠢《うごめ》く、うら若い魂と魂のささやきは数限りもない。行きずりの人も怪しまぬ。

     夥しい会合、催し、年中行事

 泰平が続くせいか、いろんな芸術的の催しが盛になった。家庭的、個人的、小団体的といろいろある。
 東京はその流行の中心地である。
 子供のために舞台を作った富豪がある。アトリエを持っている中学生がある。活動写真機を持っている家も多い。ピアノの無い小学校が稀であると同時に、中流以上の家庭で蓄音機の無い処は些《すく》ない方であろう。レコードなんぞは縁日で売っている。
 こんな調子だから「催し」も夥しい。やれ野外劇、それレコードコンサート、又は新舞踊、芸術写真、その他在来の趣味や、新しい道楽の会、切手、書物、絵葉書、ポスター、レコード等の交換会、奥様やお嬢様御自身のおすしやおでんの会、坊ちゃまお嬢様のオモチャの取かえっこの会なぞと、大人のため、子供のため、男のため、女のためとお為づくしである。マージャンの会は今が盛りである。ラジオの会はこれからであろう。
 年中行事の多い事も東京が一番である。
 三大節、歌留多《かるた》会、豆撒き、彼岸、釈迦まつり、雛《ひな》と幟《のぼり》の節句、七夕の類、クリスマス、復活祭、弥撒《ミサ》祭なぞと世界的である。そのほか花の日、旗の日、慈善市、同窓会、卒業祝、パス祝、誰さんの誕生日まで数え込んだら大変であろう。又、そんなのに一々義理を立てたら、吾家《うち》の晩御飯をいただく時はなくなりそうである。
 少年少女が又こんなのに行きたがる事、奇妙である。

     案内書の秘密

 美しいお嬢さんの居る家に一枚のビラが配られた。青白い上等の紙に新活字で印刷してある。
   ……………………
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 ××社交クラブ成立案内書
大正の大震火災後社会の風潮は著しく悪化して参りました。良家の子女は今や全く社交を禁ぜられているかの観があります。(中略)吾々はここに見るところあり、××社交クラブを組織し、(中略)特に良配偶を求めらるる子女及び父兄のためには、この会ほど安全で適当なものは他にあるまいことを信じて疑いませぬ次第であります。(下略)
 大正十三年九月一日
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 とあって、賛助員に後藤新平、中村是公、目賀田種太郎、金子堅太郎なぞいう名士の名がズラリと並び、発起人に何々会社重役、何々病院長、何々ビルディング支配人なぞいうのから、肩書も何も無いのまで、綺羅星《きらぼし》の如く並んでいる。その先の方に「案内」とあって、小さな活字がギッシリ詰っている。
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▽会費 一ヶ月金三円(毎月三回会合)。
▽会合の種類 (第一類)音楽、絵画、その他芸術的の集まり、展覧会等。(第二類)政治、外交、社会問題に対する質問会。文化、学術講演会。(第三類)洋食、技芸、洋式作法講習会等。(第四類)慈善市、各種交換会等。
▽備考 (一)加入者は品行方正の証明(父兄、学校、青年処女会)ある青年処女に限る。(二)会合の種類に依り父兄同伴随意。(三)何等宗教的意味を含まず。
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 といったようなもので、仮申込所を東京府下中野○○番地、松居博麿(仮名)方としてある。
 この案内書を貰ってポケットに畳込んだ記者は、そのまま省線に飛び乗って中野で降りた。決して名探偵を気取ったわけではない。流石《さすが》東京と実は大《おおい》に感心させられた。その会合の遣方《やりかた》を習ったら、九州へのいいお
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