生れの親たちが、その子女から嫌われて、馬鹿にされている裡面には、こんな消息が潜んでいる。
なおこのほかに今一つ重大なのがある。
お乳から悲喜劇
ついこの頃のこと……。
九州方面のある有名な婦人科病院で、こんな悲喜劇があった。
或る名士の若夫人が入院して初子《ういご》を生んだ。安産で、男子で、経過《ひだち》も良かったが、扨《さて》お乳を飲ませる段になると、若夫人が拒絶した。
「妾《あたし》は社交や何かで、これから益《ますます》忙しくなるのです。とても哺乳の時間なぞはありません」
というのが理由であった。付添《つきそい》や看護婦は驚いた。慌てて御主人に電話をかけた。
やって来た御主人は言葉を尽して愛児のために夫人を説いた。しかし夫人は受け入れなかった。頑固に胸を押えた。
御主人は非常に立腹した。
そんな不心得な奴は離縁すると云い棄てて帰った。
夫人は切羽詰まって泣き出した。大変に熱が高まった。
付添と看護婦はいよいよ驚いて、一生懸命になって夫人を説き伏せた。夫人が泣く泣く愛児を懐に抱くのを見届けて、又御主人に電話をかけた。
「奥様が坊ちゃまにお乳をお上げになっています」
御主人はプンプン憤《おこ》って来たが、この様子を見ると心|解《と》けて離縁を許した。
夫人の熱は下った。無事に目出度く退院した。
これを聴いた記者は又驚いた。
東京|風《ふう》がもう九州に入りかけている。今にわざわざ愛児を牛乳で育てる夫人が殖えはしまいかと。
上流家庭に不良が出るわけ
東京の社交婦人の忙しさは、とても九州地方の都会のそれと比べものにならぬ。哺乳をやめ、産児制限をやり、台所、縫物、そのほか家事一切をやめて、朝から晩まで自動車でかけ持ちをやっても追付《おっつ》かぬ方がおいでになる位である。その忙しさの裡面には風儀の紊乱が潜んでいる場合が多い。遠慮なく云えば、上流の夫人ほど我ままをする時間と経済の余裕を持っている。
そんな人の子女に限って家庭教師につけられているのが多い。その又家庭教師にも大正の東京人が多いのである。
震災前の不良少年は、大抵、下層社会の、割合いに無教育な親を持つ子弟であった。それが震災後は反対になって来た。上流の方が次第に殖えて来たと東京市内の各署では云う。
こんな冷たい親たちを持つ上流の子弟が不良化するのは無理もない。
そんな親様がいくら意見したとて利く筈はない。
それでも親としてだまって頭を下げているのは、只お金の関係があるからばかりでなければならぬ。
青春の享楽を先から先へ差し押える親
明治時代の親たちが、大正時代の少年少女の気持ちを理解し得ないのは当り前である。「権利と義務は付き物」という思想では、「人間には権利だけあって義務はない」と思う新しい頭を理解し得られる筈がない。
今の少年少女にとっては、学校は勉強しに行く処でない。卒業しに行く処である。又は親のために行ってやるところである。も一つ進んで云えば、学資をせしめて青春を享楽しに行く処である。
親はそんな事は知らぬ。
早く卒業させよう――働かせよう――又嫁や婿を取らせようと、青春の享楽の種を先から先へと差し押えようとする。
少年少女はいよいよたまらなくなる。益《ますます》家庭から離れよう、せめて精神的にでも解放されようとあせる。
華やかな、明るい、面白い、刺戟の強い、甘い、浮き浮きした方へと魂を傾けて行く。そうしていつの間にか不良化して行く。
親はこれを知らない。
現代の子女がどんな刺戟に生きているかを、明治時代の頭では案じ得ぬ。
良心から切り離されて
台湾征伐、熊本籠城、日清日露の両戦役、又は北清事変、青島征伐等を見た明治人、勤倹尚武思想を幾分なりとも持っている明治人は、科学文明で煎じ詰められた深刻な享楽主義をとても理解し得ない。日本化された近代芸術が生む不可解な詩――鋭い文――デリケートな画――音楽――舞踊――そんなものの中に含まれている魅惑的な段落やポーズ、挑発的な曲線や排列の表現を到底見破り得ない。
一方、都市生活で鋭敏にされた少年少女の柔かい頭には、そんなものが死ぬ程嬉しくふるえ込む。メスのように快く吸い込まれる。
その近代芸術、又は思想の底に隠されている冷たい青白いメスは、彼等少年少女の精神や感情を、一つ一つ道義と良心から切り離して行く……その快さ……。
彼等少年少女は、言わず語らずのうちにそんな感情を味わい慣れている――街頭から――書物から――展覧会から――活動から――芝居から――レコードから――そうして、そんなもののわからぬ親たちを馬鹿にしている。
明治人はこうして、大正人であるその子弟から軽蔑されなければならなくなった。それは嘗て自分たち
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