しかも彼女たちの趣味は、育ちが育ちだけに極めて低級である。大きいか、美しいか、珍らしくさえあればいい。安くて、派手で、ちょっと上等のに見えさえすればいい」
と。彼女たちは、毎日毎日、この手で誘惑されつづけているのである。
消えゆく処女美
彼女たち職業婦人はこうした昔の職業婦人の流れを汲んで、更にそれ以上に文化的な、蠱惑《こわく》的な風俗を作るべく工夫を凝らしている。首のつけ根を剃り上げたり、梳き毛をブラ下げたり、ホツレ毛を描いたりするのは、その苦心の最高潮のあらわれと見るべきである。
職業婦人の名が二重の職業を意味しているとは、彼女たちのこうした風俗からでも訳なく察せられる。
彼女たちはこうして処女の美を早くから失って行く。同時に夜ふかしや白粉《おしろい》焼け等が、彼女達の「美」と名づくる資本を奪って行く。そのために彼女達のお化粧は日に増し濃くなり、彼女達の頬紅、口紅は日毎に赤くなり、彼女たちの服装は年毎に若返って行く。哀れと云うも愚かである。
このような不自然な美しさは、昔では色町やその他の限られた場所でしか見られなかったそうである。それが今では全東京の街頭に流れ出した。病院、学校、会社、銀行、商店、カフェー、バーは云うに及ばず見受けられる事になった。時勢の進歩の中でも最もハッキリした進歩はこれではあるまいか。
彼女達はどうして堕落するようになったか
記者は弁護する。
彼女達職業婦人は決して初めから二重の職業を持っていたものでないことを。
同時に記者は確実に予言し得る。
一度《ひとたび》此《かく》の如く滔々と白昼の街頭に流れ出して、此《かく》の如く公然と官私の仕事に喰い込んだ職業婦人の職業だけを、二度と再び昔の色町や醜業窟に追い込む事が永久に不可能である事を。
どうしてこんな事になったか……彼女たち職業婦人の大部分が、どうしてかように二重の職業を習い覚えるようになったか。
只《ただ》この問題一つを研究するだけでも、人間一代を棄てるねうちがあるかも知れぬ。大正十二年九月以降、東京の市中に二重の職業を持つ婦人が激増した。その後に日本国中の婦人の風俗までが影響を受けて大変化を来たしたという事は、社会学上の大きなレコードだから……。
しかし又一方から見れば、頗《すこぶ》る簡単明瞭である。彼女たち職業婦人の身の上を出来るだ
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