、リボンで鉢巻をしているのは、希臘《ギリシャ》の巫女の真似であろうか。行衛《ゆくえ》知らずの行衛を半分見せたようなの、蓮の巻き葉のように左右から巻き込んだのなぞ、数え立てれば限りもない。
 その中で最も風変りな二つの流行は、襟足を剃ることと梳《す》きまき毛をブラ下げることである。これは流石《さすが》の福岡でもまだ行われていない。

     襟足を剃る式

 襟足を剃るのは、無論、束髪に限っている。多分、首を長く見せるつもりでもあろうか。剃り上げた首の左右に限って、二本の毛の束がブラ下がっているのを見受けるところから考えると、アヤツリ人形の真似をしたのかとも考えられる。とにかく、首の付け根からボンノクボの上まで、頭のうしろの半分ばかりを、耳の高さと並ぶ位にむごたらしく剃り上げて終《しま》う。そこへ白粉《おしろい》をコテコテと塗るのであるが、大抵は斑《まだら》になった上に、キメが荒いから粟肌《とりはだ》が一面に出来ていて、首の方向を変えると白い皺《しわ》の波が出来る。そのきたないこと。殊に非道《ひど》いのになると、毎日剃らないせいか、黒い毛がプツプツと芽を吹いて、白粉《おしろい》とゴチャゴチャになって、二《ふ》タ眼と見られぬ醜態である。他人《ひと》のを見てもわかりそうなものだが、自分のは見えないから立派にしているつもりらしい。冬なぞは嘸《さぞ》寒いだろうと同情に堪えぬ。

     梳き毛ブラ下げ式と頬に描いたホツレ毛

 次に、梳き毛をブラ下げたのはあまり多くないようであるが、奇抜なだけに、見たと云う人はいくらもある。見ない人はタボ毛が抜け落ちたんだろうと云うが、決してそうでない。わざわざ瓢箪《ひょうたん》型や糸瓜《へちま》型にこしらえた梳き毛の固まりを、耳の前にブラブラと釣るして歩くので、ドンタクでもあまり見かけない新型である。記者も初め遠くから見た時は、大昔の美津良《みずら》式を復活させたものかと思ったが、近付いてよくよく見ると、髪毛とは全く別の感じを持った黒い固まりなので腹の皮が拗《よ》れた。しかも、本人、大澄ましだから豪気である。多分、外国の活動女優の舞台姿か何かを真似たものと思われるが、本人に訊《き》いて見る勇気を持たなかったのは遺憾であった。
 尚《なお》、参考のために書き添えておくが、現在の東京で中年以下の婦人の断髪は時々見かける。しかし前髪を切って縮
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