いがね。とにかく気をつけて見たまえ。Mの字を帽子につけてる奴が馬鹿に多いから。おれあ、どうも腑に落ちないと思っているんだがね……」
 記者はこの最後の言葉にあまり注意を払わなかった。只、Mの字がよく売れることだけは間違いないと思っただけであった。
 すると今度はその翌日の事……。

     英語の先生の話

 冷い雨の降る日――四谷から牛込へ帰る途中――飯田橋から新宿行の急行電車に乗り換えると――あの中学生――一週間余り前に、上野公園の杉の木蔭で、友達にアルファベットの秘密を教えた生徒が、偶然に記者の前に立っているのを発見した。
 記者はニコニコして問うて見た。
「どこまで帰るのですか、君は」
 彼はハニカミ笑いをしながら答えなかった。
「あなたの英語の先生は何といいますか」
 これは頗《すこぶ》るまずい問い方であったが、ついそんな調子になってしまった。彼は矢張り答えなかったが、その代り意外の処から返事が来た。
「私ですが、何か御用ですか」
 記者は驚いてふり返った。すぐうしろに一人の学校教師らしい四十恰好の人が立っている。あまり立派でない背広に中折れで、ゴムのコートを着て、ゴムの長靴を穿いている。背はあまり高くなく、強度の近眼鏡をかけた学者風の丸顔で、一見神経質の人らしく見える。好色漢《すけべえ》らしいところは微塵《みじん》もなく、却て記者を不良か何かと見たらしい顔付である。
 記者は面喰らいながら帽子を脱いだ。
「ハイ、実はここではお話も出来かねる事で……」
 と傍の少年をかえり見た。
 先生は何と思ったか、急に物柔かな態度になった。
「ア……そうですか。では恐れ入りますが、私の宅までお出《いで》願われますまいか」
「それは恐縮ですが……」
「イヤ、お構いさえなければ……むさくるしい処ですが」
 記者は風向きがあまり急に変ったので少々面喰らった。しかし兎《と》も角《かく》も、抜け弁天の付近にある先生の私宅まで、ザアザア降る中をお伴して行った。
 その私宅というのは或る富豪の長屋で、少年はその家の三番目の令息であった。兄と一緒に(この日は何故かその兄と一緒でなかった)神田辺の或る中学に通っているので、その中学英語の先生田宮(仮名)はその家庭教師として長屋に居るのであった。ところが兄弟とも成績と品行があまりよくないので困っているらしい事が、田宮夫人のオシャベリでわ
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