もない。
 そんな親様がいくら意見したとて利く筈はない。
 それでも親としてだまって頭を下げているのは、只お金の関係があるからばかりでなければならぬ。

     青春の享楽を先から先へ差し押える親

 明治時代の親たちが、大正時代の少年少女の気持ちを理解し得ないのは当り前である。「権利と義務は付き物」という思想では、「人間には権利だけあって義務はない」と思う新しい頭を理解し得られる筈がない。
 今の少年少女にとっては、学校は勉強しに行く処でない。卒業しに行く処である。又は親のために行ってやるところである。も一つ進んで云えば、学資をせしめて青春を享楽しに行く処である。
 親はそんな事は知らぬ。
 早く卒業させよう――働かせよう――又嫁や婿を取らせようと、青春の享楽の種を先から先へと差し押えようとする。
 少年少女はいよいよたまらなくなる。益《ますます》家庭から離れよう、せめて精神的にでも解放されようとあせる。
 華やかな、明るい、面白い、刺戟の強い、甘い、浮き浮きした方へと魂を傾けて行く。そうしていつの間にか不良化して行く。
 親はこれを知らない。
 現代の子女がどんな刺戟に生きているかを、明治時代の頭では案じ得ぬ。

     良心から切り離されて

 台湾征伐、熊本籠城、日清日露の両戦役、又は北清事変、青島征伐等を見た明治人、勤倹尚武思想を幾分なりとも持っている明治人は、科学文明で煎じ詰められた深刻な享楽主義をとても理解し得ない。日本化された近代芸術が生む不可解な詩――鋭い文――デリケートな画――音楽――舞踊――そんなものの中に含まれている魅惑的な段落やポーズ、挑発的な曲線や排列の表現を到底見破り得ない。
 一方、都市生活で鋭敏にされた少年少女の柔かい頭には、そんなものが死ぬ程嬉しくふるえ込む。メスのように快く吸い込まれる。
 その近代芸術、又は思想の底に隠されている冷たい青白いメスは、彼等少年少女の精神や感情を、一つ一つ道義と良心から切り離して行く……その快さ……。
 彼等少年少女は、言わず語らずのうちにそんな感情を味わい慣れている――街頭から――書物から――展覧会から――活動から――芝居から――レコードから――そうして、そんなもののわからぬ親たちを馬鹿にしている。
 明治人はこうして、大正人であるその子弟から軽蔑されなければならなくなった。それは嘗て自分たち
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