れぬ。
吹きまくる不良風
震災前、東京には各種の学校が、著しい増加の傾向を示した。
私塾程度のものから、半官立と云っていいもの、又は純然たる官立のものまで、あらゆる階級と種類がミッシリと揃った。そのために官立は真面目なもの、私立はズボラなものという、昔の区別が曖昧になって来た。
同時に、私立に通う男女生徒の服装に、官立と見分けのつかないのが殖えて来た。殊に私学の権威が高まったこと等は、一層、この官立の真面目さと、私立の不真面目さを歩み寄らせた。
男の生徒では、私立の職業学校生徒も、官立の生徒も、睨みの利き方が同等になって来た。女学生では、私塾の生徒も、大きな学校の生徒も、幅の利け方が似寄って来た。
官立も、私立も鳥打帽が大流行で、職業婦人の卵も、賢母良妻の雛《ひよ》っ子も、踵《かかと》の高い靴を穿いた。
取締のゆるい学校生徒が、厳重な学校生徒を恐れなくなって来た。
こんなのが震災後ゴチャゴチャになって、時間を隔てた――又は隔てない共学をやった影響がどんなものであるかという事は想像に難くない。
不良風はその後|益《ますます》増加した各種学校の官私立を隔てずに吹きまくった。驚くべく悲しむべき出来事が到る処に起った。
家庭の価値《ねうち》がゼロ
東京は昔から不良少年少女の製造地として恐れられていた。そこへこの間の欧州大戦が思想上から、又、大正十二年の大地震が実際上から影響して、今のように多数の不良少年少女を生み出すに到った順序は今までに述べて来た。
あとに残って少年少女の堕落を喰い止めるものは、唯家庭の感化ばかりである。
ところが、現在の東京人の家庭の多数はこの力を失っている。お父様やお母様の威光、又は兄さまや姉さまのねうちが零になっている家庭が多い。
第一に、現在の親たちと、その子女たちとは思想の根柢が違う事。
第二に、上中下各階級の家庭が冷却、又は紊乱している事。
主としてこの二つの原因があるために、現在の東京の子女には、その家庭に対するなつかしみや敬意を持てなくなっているのが多い。
明治思想と大正思想
東京は明治大正時代の文化の中心地である。だから、そこに居る子女の父兄たちは、大抵明治時代のチャキチャキにきまっている。
明治時代は、日本が外国の物質的文明を受け入れて、一躍世界の一等国となった時
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