当選者の氏名なぞをその往来に貼り出して、今度は名前入り引き札付きの紙を売るので、押すな押すなの盛況で売れて行く。
 次に価格懸賞募集というのは、たとえば或る洋品店で毛糸のシャツの山をショーウインドの中に三つ作って、一号から三号まで印を付ける。一方に一等賞から五等賞まで、十円以下の品物の賞品を二三十積み上げて、表にこんな大看板を立てる。
「当店が今秋の破格大安売りとして提供すべきこの品の一号二号三号までの価格を御決定下さい。公正なる発表を致しまして当選者には陳列の品物を一個|宛《ずつ》呈上致します。当店の社会奉仕的精神の発露は今や極度に……」
 云々と書いて、鉛筆と紙と投票箱が添えてある事は前の通りである。
 通りかかりの労働者、学生、紳士などは勿論、人通りのすくない雨の日なぞは、女子学生らしいのまで硝子《ガラス》窓の外から穴のあく程品物をのぞいては鉛筆をヒネクッていた。
 十四五日にして開票の結果は、総数二千有余、何円以下何円以上何名何名、一等八円いくら、二等六円何ぼ、三等五円なにがしと決定して、一等二等の当選者の宛名にした賞品の小包みが山積してあった。無論、その価格でドシドシ売り出している。
 以上は不道徳でない範囲の広告法で、殊に最後の二つは人通りばかりを相手にした極めて真剣斬新な広告法である。これ以下の不道徳な範囲になって来るともう数限りないので、東京の新聞の案内欄を見ただけで思い半ばに過ぐるものがある。しかも震災後そのようなものの増加は特に著しく、一々挙げたら際限がないから略する。
 これを要するに、以下述べたところで東京市内の中流以下の商店の広告が如何に平民化しているか……否、東京市内の商売振りが如何にバラック気分に充たされているかが容易にわかる事と信ずる。
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   生活の巻



     東京人の色別け

 この間の大地震と大火事とは、東京人の非常な多数を東京から追い出した。そのあとへそれ以上の地方人を迎え入れた。
 この推測は当らずと雖《いえど》も遠からずであろうと考えられる。交通機関の混雑ぶり、市内の商店の営業振りを見てもわかる。
 その新しい東京人は次第に都会化して、現在その中途半端なところに居る。各種の商店の広告振りや、大道商人のオシャベリ振りがこれを暗示している。その土地の商売はその住民の生活の反映とはよく云ったものである。
 この半分東京化した地方人の大多数に、従来から東京に居た人間の種類を加えて見ると、現在の東京にはどんな人間が居るかという事があらかたわかる。
 いの一番の筆頭は華族様、富豪なぞいう御方々で、東京では勿論の事、日本でも上流のパリパリ。汽車なら無論白切符か特等車で、自動車なら紋章入り、一台以上の格である。人数は無論震災前とあまり変らぬ。又|無暗《むやみ》にかわっては大変である。
 第二は知識階級を中心とした江戸ッ子と非江戸ッ子で、切符なら青赤混合というところ。自動車ならば無論持たず、プロ意識の最強烈な中流の種族である。
 この非江戸ッ子の中に学生と腰弁がいる。学生の方は家族同伴が些《すく》ない事と、東京の復興に直接努力をしない事を特徴としている。その代り最新式の気分を真先かけて高潮させる役目は、いつものがさずに受け持っている。腰弁の方は家族同伴でやって来た新分子が多い。しかも学生と違って、直接復興事業に携わっているのが半数以上と想像される。
 次は純赤切符(といっても小学卒業内外)階級の江戸ッ子と非江戸ッ子である。その中で後の連中には、各種の車掌や運転手(巡査級もこの中に入れていいかどうかは考慮中である)なぞいう壮年青年の男、又は若い女が多い。東京復興の下廻りをやる労働者、又は復興気分を飾る女事務員、給仕女といった人々で、現在の東京の各階級の中で最大多数を占めている事は、町を歩いて見れば一目瞭然である。
 以上の各人種の居る処を極く大まかに区別すると、中流以上は山の手から郊外に居るので、旧東京人が多い。それ以下が下町のバラックに居て新東京人となり、新東京の新文化を作りつつある事になる。
 このような各人種がどんな生活を営んでいるかという事は、面白い且つ大なる研究問題である。
 東京人の生活といっても一概に云えぬ。世界一の大都市だけに、上中下どれともつかぬ階級の人間や、思い切った変態生活者が夥《おびただ》しい。
 金鎖を下げた乞食……三年も湯に入らぬ富豪……家の無い自動車持ち……妾の四五人も居る無妻主義者……愛国的の名目を持つ亡国運動者……社会主義的団体名を振りまわす成り金崇拝者なぞ、数え立てれば限りもない。
 勿論地方にも居るが、東京には特別に多い。
 それは十把一カラゲに街頭から見た観察だから、多少の見損いは許していただきたい。

     百万円の花火一発

 今仮りに或る一文無しが百円の金を儲けたとする。
 その中から二十円を奮発して芝居見に行く事になったとする。
 これを聞いた人々が、
「ソレは身分不相応だ……ブル思想だ……二十円の金で何十人の飢が凌《しの》がれると思う……血も涙も無い奴だ……第一百円の金を儲けるのが不都合だ……大方泥棒でもしたんだろう……元来金というものはソンナに一人占めにすべきものではないのだ……ソレを自分の物のように心得て、事もあろうに芝居見に行くとは非国民の行為だ……国賊の所業だ……民衆の敵とは貴様の事だ……行くなら行って見い……打ち殺してくれるから」
 と罵《ののし》ったらどうであろう。
 罵しられた方は当り前の人間で、罵った方が馬鹿か気違いにきまっている。そうでなかったら、お金欲しさに血迷った奴である。こんなのがお金に有り付いたら、二割や三割どころでない、十割以上も飲み喰いして足を出す輩《やから》である。ブル以上のブル根性を発揮する連中である。だから平生貧乏しているのだと冷かされても仕方があるまい。
 ところが事実はこれを裏切った。天下の富豪大倉喜八郎氏が百何十万円とかを投じて賀筵《がえん》を張る。そのために支那から俳優を招くという事が一般に伝わると、真剣な意味で非常な輿論《よろん》を捲起《まきおこ》した。
 大倉家の財産がいくらあるか知らぬが、割合にすれば百円に対する二十円よりも小さいにきまっている。さあ新聞でタタク。何とか会員が脅迫に行く。いよいよ賀筵になると、警察が青くなって巡査に護衛させるという騒ぎであった。
 何がどうした、だれがどうなったという事は一つもない。只百何十万円という声に昂奮しただけである。大倉の爺さんが爺さんなら民衆も民衆で、馬鹿馬鹿しいと云おうか情ないと云おうか。日本のブルジョアとプロレタリアットとが、大体に於てコンナ浅薄なブル思想に囚われた議論で押し合っているのなら、どちらにしても「ドッチモドッチ」である……記者は街頭に立って夕刊を読みながら天を仰いで嘆息した。
 笑ってはいけない。記者は真剣である。国賊だの民衆の敵だのと、まわりくどい事は頭に浮ばぬ。只、「それだけのお金が欲しい」とシミジミ思わせられたのである。
 それはそれとして、日本の上流社会の一番ドエライところを代表したのがこれ位のところで、紀文《きぶん》や奈良茂《ならも》の昔語りよりも大分落ちるようである。
 この百万円の花火がタッタ一発上がった切りスッと消えてしまうと、あとの世界は又薄暗い不景気になってしまった。
 皇室では内帑《ないど》を御|約《つづ》め遊ばすという。浜口蔵相は大整理を断行するという。銀行は大合同になりそうだという。復興債券が売れたのは、不景気でもがいている人間が多いためだという。
 何だか知らぬが、東京市の内外に空屋が殖《ふ》えたのは事実である。新しいバラックもたしかに殖《ふ》えなくなったようである。それかあらぬか、浅草へある用事で一ヶ月ばかり通っているうちに、賑やかな店のかわったのがいくつも眼に付いた。中には半月ばかり置いて、二度も商売のかわった店を見受けた。尤《もっと》も、浅草の六区界隈の地代は一坪で三四十円は間違いなく取られるので、不景気だと真先にこたえるのはここであるが、それにしてもあんまり甚だしい。
 然るにこの不景気も、日本橋から銀座という東京目抜の通りに来ると、余り眼に付かない。三越、丸善、ホシ製薬、玉屋、天賞堂、白木屋と、まだいくらでもある有名な大商店、大銀行、大会社、大ビルディングがドシドシ復活して、古い暖簾《のれん》を振りまわしている。こうした大商店の復活は、或る一面から見れば、東京の貴族や富豪、又は中流以上の階級が、震火災の打撃をあまり受けなかった証拠とも云える。殊にそうした階級の連中は、純粋の田舎者と同様に大きな名の通った店から物を買うので、一層この事実を裏書していると云えよう。
 上流はこれ位にして中流に移る。

     地震|鯰《なまず》と大蔵大臣

「不景気の最もコタエないのは学生で、その次は腰弁だ」という。そう考えられぬ事もない。
 腰弁は月給、学生は為替《かわせ》で、いずれもあまり照り降りはないと云える。あるとすれば身から出た錆《さび》か、冬物の質受け、もしくは病気等いう内側から湧いた照り降りである。下層や上層の社会のように、仕事にアブレたり、行き詰まったり、破産したりするような心配は先ずない筈である。
 しかし腰弁は、不景気となると、「首」という問題が起る。さもなくともボーナスの減少と来るから、照り降りはなくとも心臓には応える。寧《むし》ろ極度の貧血に陥るものが多いので、結局ノンビリしているのは学生ばかりとなる。
「ジョジョ冗談じゃない。東京はこの頃とても遣りにくくて……」
 なぞ云う学生諸君があったらウンと窘《いじ》めて上げる事にして、ここでは先ず腰弁諸君の御噂から申上げる。
 コザコザした物価調べなぞは抜きにして、東京の物価を福岡のソレと比較すると、牛肉が二倍、鶏が三倍、野菜や生魚が二倍半位にも当ろうか。十月から十一月頃、百円の月給では気の利いた下宿にも這入れぬ。
 しかも学校を出てブッ付け百円取れるところは、東京中に無いと云った方が早道である。役所の帰りに荷車を引いて帰る男、制服のズボンで我慢をしている会社員、女持ち洋傘《こうもり》を翳《さ》して行く役人なぞいう式は、いくらでも見付かる。番傘とゴム靴に到っては数限りないと云ってよかろう。
 こんな風をしてあるけるようになったのも偏《ひとえ》に震災の御蔭である。「地震鯰」もこういう風にばかりゆすぶっていれば、大蔵大臣にして差支えない。
 も一つ序に地震の御蔭を云えば、前に云った日比谷や芝離宮(これは焼けてしまったが)、その他の避難民小舎にかがんでいる腰弁連で、百五十円取って、家族同伴で家賃を払うとすれば、どうしても十五円や二十円は取られる。無家賃でも、すこし油断をすれば生活費が一パイ一パイになる事|請合《うけあい》で、軽蔑されても罵られてもバラックに獅噛《しがみ》付いていたいという心理状態は、可愛相と云えば可愛相である。
 茶色になった麦稈《ばっかん》帽子は以前にも増して殖えたように見えた。汗でリボンを真黒に染めた中折れも御同様に思える。それかあらぬか、さる富豪が二十何年同じ麦稈帽を冠ったというので、新聞に大々的に推賞されたのは、どれ位彼れ等の参考になった事であろう。
 こうした事実の半面には、又彼等をギューギューいわせている或る種の圧迫がある。それは着物道楽と文化生活である。
 この二ツは現在の東京の腰弁級の最高の理想と云って差支えない。この二ツの理想が彼等を刺戟している間に、彼等はいつまでもピーピー風車でいなければならぬのである。
 ここで一寸《ちょっと》説明しておきたいのは、腰弁の上中下三階級である。
「腰弁」という名称の起りは、腰にブラブラしたアルミの弁当からであるが、それが今では月給取りの総称になってしまった。そうして本当の腰弁はその中の最下層に位する事になったので、それ以上のは有名無実の贋腰弁である。甚だしきに到っては奏任以上までが腰弁を僭称しているが、その実《じつ》弁当は洋食や丼にするという有様で、正に
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