の職業を極度に攻撃したものが些《すくな》くなかった。それにも拘わらず彼等は、「必要の前に善悪無し」という程度の格言を信条として、益《ますます》盛に横行したらしい。
 その大部分は女医であったそうで、就中《なかんずく》中条流という堕胎の方法が最流行したと記録に残っている。そのほかおろし[#「おろし」に傍点]婆、御祈祷師なぞは勿論の事、普通の漢方医でも内々この医術を売り物にしていたと察せられる。一説に依ると、徳川時代のすべての医術の中で最も有効に発達したものはこの方法で、この方法の下手な医者は大家に出入りする資格は無かった。否、この手術だけ心得ていれば、あとは売薬を詰めた百味箪笥と、頭の形と、お太鼓持ちだけで、立派なお医者様として生活が出来たという位だから恐ろしい。
 このほか医者でも何でもなくて、のれん[#「のれん」に傍点]や看板に堕胎を業とする意味のものを染めたり、描いたりしているものがあったという。たとえば子持縞《こもちじま》に錠を染め出すとか、温州の種なし[#「種なし」に傍点]みかんの絵とか、山吹の花を表したものなぞである。
 そうした中でも、この種の商売を殆ど公然の秘密のように行
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