が学校じみておかしいが、順序だからちょっとの間《ま》勘弁していただきたい。
日本民族はちょっと見ると、純プロ式の性格を持っているように見える。うっかりすると直ぐに浴衣の尻をマクリたがる、外国に行ってもお茶漬の夢を見るところなぞは正にそうとしか見えない。
ところがその作った文化を見ると、初めからおしまいまでブル式の文化である。
言葉を換えて云えば、ヤマト民族はどうしてもプロ階級の文化を作る資格がない。ブル根性が死んでも抜けない人種だと云い得るようである。
論より証拠、日本の文化は先ず蘇我氏や藤原氏なぞいう貴族の手で、奈良や京都、浪華《なにわ》なぞを都として開かれた。それは勿体《もったい》ぶった、優にやさしいものであった。
その貴族が太平に慣れて、増長をして、無力になると、今度は彼等が馬鹿にしていた賤《いや》しい武人が天下を取って、鎌倉を中心にして、反ブル的な剛健質朴な武人の文化を作った。その親玉となったものは源氏、北条氏であったが、これがだんだんと堕落してブル気分を含んで来た挙句、足利時代の半分貴族半分武人式の文化を作ると亡びてしまった。
この頃から、天下を取るものは氏素姓を
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