ちが自然とわかることになる。
第一は服装である。
古いありふれたところでは、足袋《たび》と下駄《げた》が新しいとか、襟垢《えりあか》がついてないとかいうのであるが、前にも云ったようにこの頃の服装はいろいろになって来たから、それ位のことでは標準にならない。要するにちょっと眼に立たないで、よく見ると垢抜けがしている……というのが最も平たい言葉であろう。
パッとした、気取った風采をしているのは、江戸ッ子ではない。
最新流行仕立|卸《おろ》しのパリパリを着ているのも、どちらかといえば江戸ッ子でないのが多い。
こう云って来ると馬鹿に六ヶ《むずか》しいが、とにかくどんな姿をしていても、アクドイ嫌味なところがなく、女の髪の結い振り、化粧ぶり、襟や着物の取り合わせ、男なら帽子とオーバー、持っている風呂敷の柄やネクタイなぞ、色や柄がちっとも眼に立たずにチャンと気取っていて、しかもどことなく気位を持っている。すべての点に於て、田舎者や無教育なもの、又は無趣味なものと思われまい、そこいらの野暮天と一所に見られまいという注意が、極めてこまかく払ってある。
亡国的の消極主義
次は彼等の
前へ
次へ
全191ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
杉山 萠円 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング