っぱり凧《だこ》にされていたのである。只釘を打って鋸《のこぎり》を使えれば大工で通る。藁《わら》さえ刻めば左官で通る。賃金が四五円から五六円という景気であった。
その中《うち》に大正十三年の春になった。
東京市中は次第に落ち付いて、ソロソロ日本中の不景気の影響を受け始めた。同時に今まで復興の労働者を歓迎していた親方や請負師連は、逆に賃金の不払を始めた。
もともと震災直後の東京に押寄せて来た連中は田舎者にきまっているので、欺され易く、馬鹿にされ易い。そこをつけ込んで使うだけ使って突放して終《しま》うので、金は取れず、食費は嵩《かさ》む、仕事には有り付けぬ、というのが続々と出来る。そこへ春先の時候がよくなるに連れて、田舎の不景気にアブレた連中、又は前の年の東京の景気を聞き伝えた面々が、何という事なしに押上って来たので、いよいよ不景気の上塗《うわぬり》となった。
東京は今日までもこうした職人の供給過剰となっている。
ひと頃、いい加減な大工や左官が五円の六円のという勢であったのが、今では立派な腕の大工で四円五十銭、左官が三円以下という相場で居据わっている。それ以下のいい加減な職人が相
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