から、買う時に苞《つと》をのぞいて、一目でよしあしを見わけるのは大抵江戸ッ子である。
「オウ、納豆屋ア」
 という短い調子や、
「ちょいと納豆屋さん」
 という鼻がかったアクセントを聞くと、いよいよ間違いはない。お神《かみ》が買い渋るのを、怒鳴り付けて買わせるのも大抵は江戸ッ子である。それから、買うとすぐに器用な手付きで苞から皿へ出して、カラシをまぜて、熱い御飯にのっけて、チャッチャッチャッと素早く掻きまわして、鼻の上に皺《しわ》を寄せながらガサガサと掻っ込んで、汗を拭う風《ふう》付きは、何といっても江戸ッ子以外に見られぬ。
「駄目じゃねえか、こんな納豆を持って来やがって。仕方がねえ、一つおいてきネエ。明日《あした》っから、もっといいのを持って来ねえと、承知しねえぞ」
 など云うのも江戸ッ子に限っている。
 こうして調べて見ると、江戸ッ子の居るところはあらかたわかる。
 先ず下町は山の手よりも多いのは無論であるが、山の手でも早稲田から青山、四谷、大久保方面にはかなり居る。下町では、初めに書いた昔の江戸ッ子町のほかに、大森から蒲田《かまた》へかけてはかなり居るらしく、小梅あたりには純江戸ッ子らしいのが居る。北の方、千住《せんじゅ》、亀戸、深川、それから芝の金杉方面にも居るには居るが、これは江戸ッ子としては少し品《しな》が落ちる。北の方から深川方面のは寧ろ貧民に近い方で、芝の金杉方面のは貧民ではないが、イナセな気分が些《すく》ない。尚、山の手で純江戸ッ子らしい気前を見せるのは青山方面だけで、そのほかのは矢張り貧民に近いか、又は多少シミッタレているとのことである。
 しかし、何といっても江戸ッ子が一番よけいに逃げ込んでいるのは、東京市内の各所にある市営の避難民バラックである。しかもここには江戸ッ子のあらゆる階級を網羅しているので、こちらには立ちん坊、そっちには俥《くるま》屋、隣りには呉服屋の旦那、向家《むかい》には請負師といった風である。非道《ひど》いのになると、新橋の芸者を落籍《ひか》して納まっている親分や、共同水栓で茶の湯を立てている後家さんも御座るといった調子で、これが大多数の熊公八公や諸国人種と入れまじって、天晴れ乞食長屋を作り、お上の立ち退き命令を鼻であしらっているわけである。
 ちょっと見ると、どれがどうやらわからぬし、納豆を売って見ても、その買いぶりに各所共通の避難民式というのが出来ていてわかりにくいが、流石に育ちは争われぬもので、よく気をつけて見ると、どことなく買いぶりが違う上に、言葉が第一争われぬそうである。
 記者が在京中のぞいて見たのは、日比谷と上野と芝公園のバラックだけであったが、こんな話を聴いたあとで見に行っただけに、バラックに居る江戸ッ子が想像以上に多いように思えた。

     かお[#「かお」に傍点]が焼け失せた

 以上述べたところで、震災一年後の江戸ッ子の消息はあらかたわかった。勿論極めてあらかたではあるが、彼等の東京市に対する価値や権威を考えて見るには、これで充分である。
 江戸ッ子衰亡の事実をたしかめるには沢山である。
 震災後、東京では救護事業が一渡り落ち付いて来ると、間もなく労働紹介や身上相談と共に、市内各地に巡回の調停裁判所を設けて、借家人と家主や地主の喧嘩をさばいてまわった。
 家主や地主は、これを機会に焼けあとに新しい家を建てて、高い家賃を貪ろうとする。そこへ前《まえ》居た店子が帰って来て、バラックを建てようとする。権利だ義務だと押合っている奴を、当局では片ッ端から裁判して、出来る限りブル階級の家主、地主をたたきつけ、プロ階級の店子や借地人の肩を持って、一日も早く昔の住民を落ち付かせて、家を建てさせ商売を始めさせようとした。これは明らかに当局の民衆化で、賞讃に価する所置であったが、一方に於いてこの方法が極端な江戸ッ子保護となったことは云うまでもない。
 然るに事実はどうかというと、この江戸ッ子保護の御蔭を蒙《こうむ》ったものは、或る一部のプロ階級の江戸ッ子で、大多数のプロ階級……即ち生っ粋の江戸ッ子はもとの処に帰っていない。東京郊外の空地の多いところのバラックに落ち付いたり、山の手の貧民窟にもぐり込んだり、又は深川、本所、千住あたりの乞食長屋に入りまじったりしている。そうしてそのほかの大部分は、市内各所のバラックに納まっていることがわかる。
 このほか東京近所の各府県、又は遠国に逃げ去ったままのものもあろうが、要するに彼等にはもとの処に帰って来る力の無いものが多いらしい。
 これは彼等が宵越しの銭を使うものを軽蔑したむくいもあろうが、一方には昨年の変災で受けた精神的打撃もあるに違いない。これを要するに、彼等の無気力さ加減はこの一事を見ても充分である。
 一方に、彼等が馬鹿にし切ってい
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