だ調べられていない。しかもその数はちっとやそっとではあるまいと思われる。
 それから今一つ、立ちん坊級の江戸ッ子というのがある。
 これは、プロに今一つ輪をかけたプロで、或る意味から云えば江戸ッ子以上の江戸ッ子とも云える。
 彼等のむれ[#「むれ」に傍点]は諸国から集まった労働者、又は江戸ッ子の成り下がりなぞから成り立っていて、金が無いのは勿論の事、知恵も才覚も気力も無い。うっかりすると名前までも忘れてしまって、只生れ故郷の国の名を呼ばれているといったような、理想的のプロが多い。
 もっとも、その収入はどうかすると日に二三円にもなるのがあるが、それは大抵飲んだり喰ったりして、上機嫌で寝るという風である。
 但し彼等の言葉だけはたしかに江戸弁で、しかもそれが又恐ろしく早い。俗に江戸ッ子の早口と云うが、立ちん坊の江戸弁と来ると、早口は通り越してアクセントばかりである。言葉の頭と尻、又は途中だけをツンケンと並べるのだから、余程慣れないとわからない。といって、正真正銘の江戸弁には相違ないから、彼等も江戸ッ子に相違ない。
 彼等は江戸ッ子のブル階級と同様に、震火災の打撃を徹底的に感じないだけの資格を持っているのだから、焼け死んでいない限り、東京に帰って来ているに違いない。そんなのは今どこに居るか。

     納豆の買いぶり

 こう考えて来ると、江戸ッ子の現状調査は非常な大事業になって来る。自転車に乗って、江戸八百八街を残りなく駈めぐるだけでも大変である。
 市政調査の結果はまだわからないし、わかっても、特に江戸ッ子だけ調べてはないだろうし、調べてあるにしても、昔から東京に居る人間を江戸ッ子と見てある位のものなら何にもならぬ。それよりも、人間のあたま[#「あたま」に傍点]に直接感じた事実の方が、よっぽどたしかであることは云うまでもない。
 何とかして東京市内に居る江戸ッ子の行衛《ゆくえ》を探る方法はないかと考えた末、納豆売りの巣窟を探しまわって売り子の話を聴いて見た。
 江戸ッ子の住家であるかないかは、ナットーの買いぶりや、喰いぶりを見るが一番よくわかるということを予《かね》てから聴いていたが、彼等売り子の話を聞くと、成る程とうなずかせられる。
 時間で云えば朝五時から八時まで、夕方は六時から九時頃まで納豆を喰う人種のうちに、江戸ッ子が含まれていることは云うまでもない。それ
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