、物の美事にはね付けられたという。
これはあんまり篦棒《べらぼう》な話で、多分、或るデモ主義者かゴロ付きの一人が思い付いてやった事を、市会議員の所業と結びつけた一片の噂《うわさ》に過ぎないであろうが、それにしても、こんな事にまで結び付けられ易い、東京の或る種の市会議員の平生の素行が忍ばれるではないか。火の無い処に煙はあがらぬとはいうものの、これは又あんまり情ない噂である。
こんな風に疑って来ると、見るもの、聴くもの、何一つ疑いの種とならぬものはない。同時に、こんな事実を見たり聞いたりして来ると、東京の前途が思い遣られる。同時に、東京を中心とし、頭脳として生きて行かねばならぬ、未来の日本の運命を悲しまずにはおられぬのである。
市議の不正公表
ここまで観察して来ると、東京市政の裡面はハッキリとした焦点を作って読者の眼前に現像されるであろう。
先ず現われて来るのは、市会議員の或る一派が往来のバラスや、市で使う石炭や、水道の鉄管や、又はあの大きな瓦斯《ガス》タンクなぞをバリバリ喰っているところである。
納豆《なっとう》売りの云い草ではないが、ちょっと見たところ、こんなものはとても歯にかかりそうにもなく、おまけに下品な悪臭芬々として、いかにも顔をそむけたくなるが、喰いなれて見ると案外おいしくて、消化がよくて、身体《からだ》のこやしになること受け合いだそうである。殊に永年東京に住んでいると、こんなイカものが喰えるようになるらしいので、江戸ッ子になると納豆が好きになるのも、そんな感化を受けるからかも知れない。
納豆を喰うと掃き溜めの腐ったにおいがして、何とも云われずうれしい。殊に豆の本当のうま味がわかるような気がして、とてもこたえられぬ。
ところが東京市政でつかう砂利や石炭や鉄カンを喰うと、文化のにおいがして素敵にうれしい。そのうえに自治制の本当のうま味がわかって、あした懲役に遣られることがわかっていても、やめる気にならぬものだそうである。
目下の東京は、大仕かけの復旧から復興へと、全力を挙げねばならぬ時機に際会している。これから先、バラスや鉄管や石炭、木材、セメントなぞいう、自治制のうま味をタップリ含んだ「復旧」、又は「復興」と名づくる御馳走の材料がどれ位入るかわからない。
東京の市会議員は多少に拘らずこれがたべたいにちがいはない。この際、市長に
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