れば納まらぬからだそうである。
 又、東京市中をまわって見ると、新しい鳥屋がかなり多い。這入って話を聴いて見ると、「震災後、小鳥道楽は下火になりました。鶉《うずら》はもとよりの事、鶯なぞも古くから研究している方がないでもありませんが、次第に廃《すた》れて行くようです。一番小鳥を余計にお買いになるのは若い御夫婦連れで……」という話。直接文化住宅をのぞいて見ても、大抵は何かほかの動物が付きものになっているようである。
「文化文化」と啼く鳥がいたら、どれ位歓迎されるであろう。
 こうなると「文化」の意味が一層わからなくなる。何の事はない。文化生活という事は、老人や子供を人間世界から追い出して、代りに禽獣や書物を取り入れた事になる。書物が親の代り、禽獣が子供の代りでもするのであろうか。とても当り前の教育程度では要点が掴みきれぬ。
 ところがその掴まれぬところがいいかして、猫も杓子《しゃくし》も文化文化とあこがれている有様は、さながらに青空を慕う風船玉よろしくである。
 こうして昇って昇って昇り詰めたら、日本はおしまいにどこへ持って行かれるだろうと心配になる位である。
 こんな風船玉のようなフワフワした文化気分が、例のバラック気分と心安いのは云う迄もないので、東京人の魂はバラック生活と文化生活との間をフラ付いている。商売でも風俗でも何でもが、大体に於てこの気分の中で色めいていると見てよかろう。

     学生生活の色々

 東京の学生は全国のあらゆる種類と階級を網羅している。
 その中で中流、即ち腰弁と同等の生活をしているのは、全体の何分の一か何十分の一位であろうが、しかし大体から見て中流生活と云ったら中《あた》らずと雖《いえど》も遠からずであろう。
 学生の生活といっても、学校の種類に依って非常な差があるが、その学校の種類が驚くべき多数に上っているからなかなか調べにくい。
 その筋の帳面を調べても驚かされるが、なかなかそれ位の事でない。昔風の寺小屋式から男女の大学まである。これを官立、私立、営利、非営利、年齢別、性別、専門別と区別して来たらとても大変である。
 更に昨日《きのう》出来て今日潰れる式のもあれば、地方の人には学校と見えて、東京に来て見ると事務所だけというようなのもある。
 その中で大学と専門学校程度の学生の生活を見当にして寸法を測って見る。一つはそのほかのが調
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