あった。新聞記者でありながら、この山頂からの通信をどうするかを考えなかったのだ。いつもの調子で町から容易に通信が出来るように思っていた。そこへ行くと水戸は咄嗟《とっさ》[#「咄嗟」は底本では「咄差」、15−上段−7]の場合にも用意周到だ。やっぱり、よかった。協力者として水戸を誘ってよかったのだ。もしドレゴ自身ひとりで出懸けて来ようものなら、通信機を持たぬ彼は今頃|地団太《じだんだ》踏んで口惜涙《くやしなみだ》に暮れていたことであろう。
「あの汽船の名前だけでも知りたいものだ。ドレゴ君、見て来てくれないか」
 水戸は通信機の組立の手を休めないで、そういった。
「よし、見て来よう」
「それからこの事件の名称だ。ドレゴ君は名誉あるこの事件の発見者だから、君がいい名称を択ぶんだよ」
「うん、すばらしい名称を考え出すよ」
 ドレゴは、すっかり機嫌を直して、燃える巨船の船尾の方へ駆け出して行った。
 煙が、意地悪く船尾の方へなびいているので、そこについているはずの船名は、そのままで読みとれなかった。これには困ってしまった。
 が、彼はこのままで引下がることは出来なかった。何かよい工夫はないかと、頭脳を絞ってみたが、不図《ふと》思付いて、彼はすこし後退すると雪塊を掘っては岩陰へ搬《はこ》んだ。そしてかなり溜った上で、今度はそれを掴《つか》んで矢つぎ早に船尾を蔽う煙に向って投げつけた。
 これは思い懸けなくいい方法だった。煙はこの雪礫《ゆきつぶて》に遭って、動揺を始め、或る箇所では薄れた。それに力を得て、ドレゴは更にその方法をつづけ、そして遂に朧《おぼろ》なる船名を判定することに成功したのであった。
 ゼムリヤ号。
 これがこの怪しき巨船の名であった。一体どこの国の船であろうか。それを知りたいと思って、なおもしばらく雪礫で煙を払ってみたが、それは成功しなかった。船腹には国籍の文字もなく、船旗も信号旗も悉く焼け落ちていたからである。
 それからこの事件の名称だ。
 ドレゴは、水戸の待っている場所まで戻る間に、この事件のためにすばらしい名称を思付くことを祈念した。そしてその結果、不図《ふと》一つの驚異的な名称を思付いたのである。
「巨船ゼムリヤ号発狂事件」
 この名称では少々奇抜すぎるかなと思った。しかし後々になってこの事件の内容がだんだん明白になるにつれ、最初にドレゴが考えたこの奇抜
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