ば上林行のバスが通つてゐた。床の間には果亭の淺絳山水の幅が懸かつてあるので、それを眺めてをると、この家は兒玉果亭の後だといふことを山崎氏は説明した。
 湯殿へ下りて見ると、驚いたことには窓は締め切つてあるにもかかはらず、浴槽の上の窓框にも仕切の横木にも雪が積もつてをり、天井からは小さい氷柱が下つてをる。どうもをかしいと思ひながら、湯の中へ飛び込んで仔細に觀察すると、湯氣が隙間から吹き込む冷たい風に凍つて、湯の上で雪となつたり、氷柱となつたりしてをるのであつた。その雪のくつ附く物を探しださない奴は、小粒の綿毛の如く私の頭にも降りそそいだ。
 ほうほうの體で逃げだして部屋へ戻ると、櫓の上に膳を載せた炬燵が、もうぽかぽかと暖まつてゐて、いかにも北信の冬籠らしい情景をつくりだしてゐた。
 私は半日にして春から冬の底へ投げ返された今日の不思議な旅を興じながら箸を取つた。



底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「草衣集」相模書房
   1938(昭和13)年6月
※1936(昭和11)年3月記
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2003年9月5日作成
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