總統ヒトラー氏の演説に答へる意味での演説)を聽いたり、深夜の豪雨を侵してタイムズ社を訪問して、其處に部屋借をしてる朝日支局の北野君と香月君に逢つたり、その他、戰爭のために變貌してるロンドンの町町を見て歩いたりして、感慨の深いものがあつたが、此處には省略する。
十月五日に鹿島丸はニュー・ヨークに向つて出帆するので、その朝ロンドンにさよならをした。ロンドン在住者の家族で日本に歸る人の若干も同行することになつた。
リヴァプールからニュー・ヨークまで三一三一浬、クィーン・メァリ級の船だつたら五日目には着くと聞いてゐたのに、われわれの憐れな鹿島丸は十二日間を費して十六日の朝やつとブルクリン第十六埠頭に辿りついた。大西洋は相當に荒れ、北緯五十三度から四十度まで南西へ下つて行く間に殊にひどい大波を受け、食堂もしばらく閑散の日がつづいた。十三日の深夜、船長F氏の厚意でオーロラが見えると知らせてくれたので、ブリッヂに立つて北の水平線の上を見ると、黒い雲が二筋長くたたびいて、それを貫いて白い空に、一層白い線が幾つも放射してるのが見えた。
ニュー・ヨークで私たちは親愛な鹿島丸と別れ、まづホテル・ニューヨーカーにトランクを持ち込んだが、すぐ船に呼び返されて、朝日の國際電話で同行の數名の人たちと久しぶりで日本との通話をした。ヨーロッパからアメリカへ來ると世界が急に明るくなり、夜は不夜城の如く電燈が照り輝き、都市の歡樂は到る所に充ち溢れ、世界のどの邊で戰爭が始まつてるのかわからなくなつてしまつた。
ニュー・ヨークでは世界博覽曾開催中なので、それも見に行つたが、ニュー・ヨークからボストン附近へかけては結局十二日間見物して歩き、十月二十七日、サンタ・フェの大陸横斷列車に乘り、二日目にミシシッピを渡り、三日目にテキサスからニュー・メキシコを通り、四日目はグランド・キャニョンの見物で終日を過ごし、五日目にはサン・ベルナルディノの山嶽地帶を横斷して、正午近くにロス・アンゼルスに着き、ホリウッドを見物した。その日の新聞には、ロシアがフィンランドを脅迫して協定に調印させようとしてることと、イタリアの内閣が外相チアノ伯を除く外、全部更迭し、プロ・ヂャーマンの閣員が全部罷免されたといふことが出てゐた。
十一月一日、ロス・アンゼルスからサン・フランシスコへ行き、其處でフランス以來の柳澤氏とその家族の人た
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