ところが、警官が亢奮してゐて甚だ穩やかでない言葉を使ひ、此の非常時にパリで學問をしようと思ふなどは心得ちがひだ。殘留するのなら義勇軍に志願しろといつたさうだ。一人のブルガリア人は何か口ごたへをしたので横つ面を撲《は》られ、最後に階段から蹴落された。その青年はそれを見てこわくなり、査證ももらはないで歸つて來た。
いつしよにその話を聞いてゐたAは、なんだかフランス人らしくないね、といふと、Bは、それがフランス人だよ、といつた。
それから、パリでは諸般の取締が日に日にやかましくなり、アレルトの鳴つてる間、即ち、人人がアブリへ逃げ込んでる間、他人の室内に侵入した者は死刑に處するといふ布令が出たさうだ。戸外でガス・マスクを携帶しない者は三十フランの罰金を課するといふ達示も出たといふ。ガス・マスクはボルドーの市街でもたいがいの人は持つて歩いてゐる。しかし、船を待つてる外國人には持つてない者が多い。
私たちのホテルには二三日前から一組のドイツ人らしい家族が泊まつてゐたが、そのうち二十《はたち》あまりの息子らしい青年は姿を消した。私は市街の方方に貼り出されてある掲示を思ひ出した。敵國の國民で十八歳以上五十歳以下の男子は何日何時まで毛布と寢衣を持つてどこそこに集合して當局の指示を待つべしといふ意味の命令だつた。一定の場所に集めて何かの勞役に服せしめるのだらう。もちろん一種の捕虜である。
息子を奪はれた家族の人たち――父親と母親と娘――は見る目も氣の毒なくらゐにしよげ込んで、いかにも肩身狹く感じてゐるらしく、下の食堂には大ぜいのフランス人がいつも外からも來るので、食事の時間もずり下げて片隅に小さくなつてかたまつてゐた。或る日、食堂の入口で出逢ふと、人なつかしげに寄つて來て、あなた方は日本の船でアメリカへ行くのではないだらうか、と尋ねた。アメリカへ寄ることになるかどうか、まだ船が來ないからわからないけれども、とにかく日本の船でフランスを去るのだ、といふと、われわれをも乘せてもらへまいかと熱心にいひだすのだつた。できたら乘れるやうに助力して上げたいけれども、恐らく日本人以外の人は乘る餘地がないだらう。と、さう答へる外はなかつた。鹿島丸の收客人員は百三十名であるのに、申込者はすでにそれを超過してるといふやうなことを私は聞いてゐた。しかし、くわしいことはN・Y・Kラインの代理店に行つて
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