『聖書』には桑樹と訳してあるが、葉だけは日本の桑に似ているけれども桑ではない。いちじく[#「いちじく」に傍点]の種類で、学名は Ficus Sycamorus となっている。(イギリスでシカモアといわれるのは種類がちがい、楓に似てるように見た。)
「処女の木」のシカモアは枯れ朽ちてるのに、尖《さき》に葉が茂ってるのがおかしいと思ったら、バッジ博士の The Nile(第十二版、一九一二年)には「処女の木」が一九〇六年七月十四日に老齢のため朽ち折れたのを惜んでいる辞句があり、一九一四年の Baedeker には一本の若枝が芽を吹いたので大事に柵を繞したという記事があるので、一二年と一四年の間に此のシカモアの木は復活したものと思われる。謡曲の文句ではないが、老木《おいき》も若みどりといったような感じである。『ベデカ』に拠ると、此の老木は一六七二年以後に植え替えられた何代目かの「処女の木」らしい。小枝のそこここに細いきれ[#「きれ」に傍点]が結びつけてあるのを日本流に解釈して、いずれ黒ん坊の若者や娘たちが縁結びの願いごとでもする習慣があるのだろうと思ったら、サイドの説明では、母親が子供の病気平癒の願《がん》がけをするのだという。聖母とキリストを庇った聖木だから今も霊験あらたかだと信じているらしい。
 その話で私はウセルトセン一世のオベリスクの下で包囲されたきたない年若な親たちの群を思い出した。どれを見ても皆アラビア人らしく、オベリスクを見てしまって私たちが車に乗ると、それまでは筋骨逞ましいサイドが赤いタルブシュ(トルコ帽)をかぶって鞭を持って傍に付いていたので寄りつかなかった彼等が、用心棒も一所に車に入り車掌台の隣りに掛けたのを見ると、忽ちどっとたかって来て、バクシシュ、バクシシュと叫びながら手をさし出した。マリアのように、片手で赤ん坊を胸に抱えながら、中には十三四の小娘のようなのもあった。あれもお母さんかと聞いたら、そうだといってサイドは苦笑していた。皆きたないなり[#「なり」に傍点]をして、跣足だった。子供たちも交っていたが、子供たちと母親たちの区別は見わけがつかないほどだった。あの憐むべき母親たちが此の木の枝にきれっぱし[#「きれっぱし」に傍点]を結びつけて祈るところを想像すると、人間の迷信は何千年もそういった習慣から脱しきれないものと見えて、ひとごとではなく思われ
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