といわれる。キリストが彼に洗礼を受けた時、二人は三十歳前後だったが、ヨハネはキリストを自分よりも遙かに偉大な者と知っていた。やがてヨハネはヘロデに殺された。それはなぜかというと、ヨハネがヘロデの不倫の結婚を非難したからだった。ヘロデは初めアラビアの王女を妻としていたが、弟のフィリポの妻ヘロデアに懸想し、フィリポのローマヘ行っている留守中にヘロデアと同棲した。(同時に前の王妃はアラビアに逃げ去った)。それをヨハネはあからさまに厳しく批判したので、ヘロデアはヨハネを殺したく思った。けれども彼女にはどうすることもできなかった。ヘロデにとっては、予言者として人民に尊敬されてるヨハネであったから、捕えて土牢に入れたけれども殺すつもりはなかった。ところが、ヘロデの誕生日の祝宴にヘロデアの娘サロメが踊って、賓客たちをいたく喜ばしたので、ヘロデは満足のあまり何でも所望のものをその場で与えようと約束した。サロメは母に相談した。母はヨハネの首を所望せよといった。サロメはそれを所望した。ヘロデは躊躇したけれども、遂に獄卒に命じた。獄卒は洗礼者の首を銀の盆に載せて持って来た。そのことはマタイもマコも記しているが、近代人はオスカー・ワイルドの劇で最もよく知っている。
 それはヘロデの心によほど忘られぬ印象を与えたと見え、間もなくイエス・キリストの名が広まった時、彼は洗礼者ヨハネが蘇えったのだろうといった。最後にキリストがエルサレムに来て、パリサイ人の奸計に陥り、捕えられてローマの太守ピラトの前に引かれると、ピラトは彼をヘロデの手に渡した。ヘロデは初めてキリストを見たが、評判にも似ず、魔法も奇蹟も演じないのでつまらなくなり、彼をばピラトに返した。ピラトもヘロデもキリストの罪を認めなかったけれども、キリストは十字架の上に磔りつけられたことは皆人の知る通りである。その時の社会情勢をキリストに最も縁の遠いピラトとその友人の側から描いた短編がアナトール・フランスにある。
 そんなことを思い出しながら見て歩いていると、キリストもマリアも何となく親しみが感じられるのは、ヨーロッパに於いての如く、壮厳にきらびやかに飾り立てられた寺の中や美しく塗り立てられた絵の前でなしに、エジプトでは、キリストが話しかけたであろうと同じようによごれた着物や跣足の間に交って、その影像を描いて見ることができるからだろうと思われた
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