きであった。
そうやって初めてカイロを見た時、私は昔の侵略者たちが此の辺からそれを俯瞰して勇躍した心持を想像した。実際、カイロほど、しばしば外国人に侵略された都市はあまりないだろう。もしエジプトはエジプト人のエジプトでなければならぬとするならば、今のエジプトは侵略されたままのエジプトであり、カイロは侵略者の都市だから、エジプトは本来のエジプトでなく、カイロはまたエジプトの首都ではないということになりそうだ。そんなことを考えているうちに、列車は薄暮の渾沌《カオス》の町へと滑り込んだ。公使館の勝部書記官と、私たちと同県の阿南君が停車場に迎えてくれた。
忙しい見物がその晩から始まった。
まずカジノ・ベバというのに案内してもらった。他にもヨーロッパ風のカジノやオペラはいろいろあるけれども、カイロではカイロらしい土俗を見たいと思った。カジノ・ベバは浅草か本所あたりのさかり場といったような感じのする区域にあって、あまり広くもない土間にはアラビアの若者たちがぎっちり詰まっていて、綺麗な少年や少女が唄ったり踊ったりするのを囃し立てていた。
映画館に行くと、トーキーはフランス語でしゃべっているが、説明の字幕は左端にアラビア語、右端にギリシア語が出た。フィルムはフランス物が多かった。
市街で買物をするにはフランス語でも英語でも用事は足せるが、ギリシア語かイタリア語の方が便利のようだ。バザーへ行くと、しかし、アラビア語でないと幅がきかない。カイロのバザーは、イスタンブルのバザー、ダマスクスのバザーと並んで世界の三つのバザーといわれる。バザーは回教国に特有のもので、特長の一つは、同種の店が同一区域内に集まってることで、宝石屋の通は軒並に宝石屋ばかり、絨氈屋は絨氈屋同士で群落をなしている。バザーへはサイドをつれて車で出かけたが、街路が狭くて二台とは並べないので、たまに向からも車が来たりすると厄介だ。往来には土地の男女がぎっちり詰まって極めて緩慢な動き方をしてる。その中を驢馬に曳かせた馬車が押し通って行く。鞭が唸り、リグラク・リグラク! ウワ・ウワ! と鋭い声が叫ぶ。それに圧倒されて通行人はのそのそと道をあける。自動車は更に圧倒的であるべきだが、いずれ徐行するだろうとたかをくくってか、通行人の方ではのそのそでなしには避けない。自動車が驢馬車に出っ逢《くわ》すと、驢馬の魯鈍にはかなわな
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