ゐなかつた。
 長濱に上るとすぐ道は上りになり、照りつける日は熱かつたけれども、三十分の後には私達は鳥坂峠の頂上に立つてゐた。其處から今渡つて來た河口湖を後に見下し、これから横ぎらうとする西湖を目の下に見やつた眺めは、恐らくいつまでも忘れられないであらう。更に、西湖の向に青木ヶ原の樹海を見渡し、それに續く丘陵の先に龍ヶ嶽(その頭《あたま》は富士と同じやうにまだ雲の中に隱れてゐた)を見た景色は、たとへば、此處から引返すとしても私たちは此の旅行を後悔しないだらうと思はれる程度のものであつた。峠の涼しい風に吹かれながら、虚山・槇村の兩君は寫眞機を抱へて頻りに駈け廻つてゐた。
 それから西湖《にしのうみ》の村へ下りるのはわけはなかつた。湖は漢音でよみ、村の名はの[#「の」に傍点]の字を入れて訓讀するのださうである。鳥坂峠を上つた高さと下りた高さとから測つて、私たちには、西湖の方が河口湖より餘程水面が高いやうに思はれたから、西湖で雇つた船頭に聞いて見ると、何百尺と違ふといふことであつた。さう云へば、長濱の山の側面に水力電氣の例の竪琴のやうな裝置がしてあるのを見た。
 西湖《さいこ》は周りにすぐ山が迫つて、河口湖よりは暗いけれども、それだけ靜寂の氣に多く充ちて、私には高く値ぶみされる。けれども舟で渡るよりも、鳥坂峠から見下した景色の方が遙かによい。舟で行くと、その間に富士が斷えず見えてゐるのがうれしい。湖の中程から美人はとうとうそのヴェイルをとつてしまつた。虚山君が誰よりも喜んで聲に出してその美人に挨拶した。私たちは紅葉の季節に來た方がよかつただらうといふことに意見が一致した。青木ヶ原の湖水に面した方は雜木が夥しく茂つてゐたから、霜に色づく時の眺めが思ひやられた。
 舟を見捨てて一丁ほど桑畠の間を歩いて行くと根場《ねんば》といふ村である。まだおひるには早いけれども、これから森林にかかるのだから腹をこしらへて置かうといふことになり、村に入つて二軒目の綱と桃太郎といふ二つの名札の出てゐる家を探して晝飯の用意を頼んだ。これは船頭に聞いて來たのである。二人の道づれの青年を合せて六人、それに人夫を入れて七人分の飯をたいて貰ひ、ジャガタラ芋を鹽煮にして貰ひ、それに新鮮な胡瓜を刻んで花鰹をふりかけて、意外にうまい食卓についた。青楓君を徴發係にして近所の家から牛肉と魚肉の罐詰を買つて來て食つて
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