をくぐつてどんどん上つて行くので、何處まで持つて行くつもりかと思つてゐたら、ショフアは心得顏に町はづれの芙蓉閣の門に横づけにした。寺のやうに古びた大きな玄關の欄間に寄進札のやうな長い板が何枚も貼り付けてあつて、昔から此の家に泊つた官職の高い人たちの名前がそれに書きつけてあつた。スター博士も一昨夜此處に泊つたとかいふことであつた。私たちは草鞋のまま玄關前に椅子を四つ列べて、五萬分一の地圖を擴げて主人から行先の道程について説明を聞いた。召使の男たちも四五人私たちの周りに立つて口を插んだ。それ等の話を綜合すると、河口湖を横斷したところで、それから先は精進湖までは泊まるやうな家はないから、今日は船津に一泊するより外はあるまいといふことであつた。船津までは吉田から約一里ださうである。
吉田から先は少し歩かうと云ふことであつたけれども、わぎわざ歩くほどの價値もなささうな所だから、それに、歩くとなると槇村君の提げて來た大きなカバンのために人夫を一人傭はねばならぬので、矢張り鐵道馬車で出かける事にした。桑と黍と小松の間の下り道をのろのろと一頭の馬が首を振り振り曳いて行くのである。富士は曇つて裾野だけが明るく展けてゐた。馭者の親爺は小倉の洋服に下駄を突つかけて馭者臺に棒立ちになり、馬の爲に絶えず口笛を吹いてゐた。之は信玄鐘懸の松だとか、あれがみさか峠だとか、一一槇村君の問に答へてゐたが、あとでは、あれはただ[#「ただ」に傍点]の山だといふやうな事を云ふやうになつた。
馬車を見捨てた所からだらだらと坂を下りると、すぐ目の下に河口湖が青く沈んで見えた。寺があつて、社があつて、其處を入りかけて右へ折れると、岩の上に箱を戴せたやうな家がある。青楓君が數年前寫生に來て泊つてたことがあるといふので、その宿屋に入る。虚山君と槇村君は草鞋を解かないで、寫眞機を持つて何處へか行つてしまつた。
私と青楓君は浴衣に着替へて湖水を眺めたり雲に蔽はれた富士を見たりしてゐたが、まだ日が高くて二階には相當のほてりがあり、外へ出て見たところで大してしようもなささうだから、(實際、河口湖は平凡である、)やがて歸つて來た兩君と一緒になつて寢ころびながら、例の大カバンの中から罐詰のソオセイジを取り出したり、ミルクココアをこさへたりして雜談に耽つた。
やがてお湯が立つたといふので湯殿へ行つて見ると、風呂の中から湖水
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