いいね、と叫んだ。どこを見ても一面の草原で、その間に秋草が咲いて、なでしこの色が湖水の縁のよりも一きは濃く、ところどころに菖蒲の咲いてゐるのも珍らしかつた。
根原《ねばら》といふ村を過ぎる頃から、道はどんどん下りになつた。もう皆んな馬上の高さに慣れて、兩足の内腿で鞍を締めつけるやうにして馬の歩行のリズムにつれて腰を浮かす調子が幾らかわかつて來たから、(口綱はもう皆んなはづしてゐた、)時時トロットをやつて見ようとしたが馬はいふことをきかなかつた。私の馬と虚山君の馬は殊に後れがちであつた。虚山君のは十五歳の年増だといふことがわかつて大笑ひになつた。私の乘つてゐるのは姙娠五ヶ月だと聞いて、これは笑ひごとではなく、むしろ可哀さうになつた。のみならず、途中で氣がついたのであるが、下り坂になると左の後足を石にぶつつけるのでどうしたのかと思つたら、その足だけに大きな草鞋が結《ゆは》ひつけてあつた。まん中の爪を傷めてゐるのだと親爺が説明した。幾ら五圓になるからといつて姙み馬の、しかも怪我までしてるやつを引張つて來るのはひどいと思つた。それに乘り合はせたこともいまいましかつた。それから、全くめちやくちやな石ころ道を下りて、人穴《ひとあな》の村に出るまでに、私は馬がつまづいて二度までも投げ出されさうになつた。とうとう村に出る五六丁手前の坂で、私たち三人――私と虚山・槇村兩君――は馬を下りた。
十一時半に人穴の村の或る店先を借りてサンドヰッチの中食をすませ、また馬に乘つて三里十何丁、上井出の村の手前から右へ少し後戻つて、白糸の瀧と音止の瀧といふのを見て、それから上井出の村に入ると、道の兩側にきれいな水が流れてゐて、家毎に水車が緩く廻つてゐて、海が近さうな涼しい風が吹き、久しぶりに町らしい町に入つたやうな氣持になつた。私たちは町はづれの茶店に休んでサイダを飮んだ。私の乘り捨てた憐れむべき姙み馬は或る蹄鐵工場に入れられた。
三時半に上井出を發する鐵道馬車に乘つて、四時四十分頃大宮町についた。蒸し暑い小さい車臺の中でかんかん照りつける西日を受けながら、例の小田原評定をまた始めた。結局、大宮には登山客が雜沓するだらうから泊らないといふことだけをきめて、大宮から富士驛までの切符を買つた。
富士身延の輕便鐵道は思つたより乘心地がよかつた。大宮町の停車場で、休刊してゐた東京の新聞が出てゐたこと
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