けれども、いつの間にか月が落ちて湖水が暗くなつたから止めにした。さうしてまた窓ぎはに椅子を寄せて明日の旅程についてさつきのつづきを話し合つた。馬で大宮方面へ出ることだけはきまつてゐるが上井出から先は鐵道馬車があるさうだから、馬は上井出まで(六里半とも七里ともいふ)にして、大宮に泊るか、身延へ(輕便鐵道で)出るか、それとも吉原へ行つて泊るか、或ひは富士驛に出て終列車で東京へ歸るか、と云つた風に、皆んなが別別の意見を持つてゐるだけならまだよいが、一人で幾つもの意見を持つてゐる者があるので、小田原評定に終つてしまつた。それで明日《あす》の事を思ひ煩ふ勿れといふことにして十時過寢室に退いた。どの部屋にもベッドは二つあるけれども蚊帳は一つづつしかなかつた。蚊はゐないといふことをミス・六本木が保證した。少くとも蚤はゐなかつた。
六日。
よく眠つて六時に起きた。二人の同行者(H君とF君)はもう洋服に着かへてゐた。私は青楓君を起こして、それから向の部屋へ行つて槇村・虚山兩君を起し、大急ぎで食堂にはひつて、トーストで腹をこしらへた。オレンジのジャムがおいしかつた。食堂には朝日が一ぱいにさしこんでゐた。もつと早く起きて今頃は山にかかつてゐなければならぬ頃だと思つた。
馬を一時間の餘待たせた末、ホテルの裏は道がわるいからといふので、湖水の西端までボートで行くことにして、其處へ馬を廻はして置けと云ひつけた。ホテルを出る時には、昨日着いた時と反對に、日本風の宿屋よりもコンフォタブルだねといふ人があつた。ベッドの寢心地のよかつたのが理由であつた。
ボートから上つて、雜木林を一丁ほど歩いて、只《と》ある空地《あきち》に出ると、其處に六頭の馬と六人の馬子が私たちを待つてゐた。軍隊生活をしたF君を除く外は馬には皆未經驗と云つてよい者ばかりであつた。皆んながおとなしい馬はどれだと云つた。けれども或る一頭を除く外は皆牝馬であつた。その一頭も去勢馬であつた。青楓君が一番にそれに乘つて、外の者が順順につづいた。殿《しんが》りのF君の外は皆んな口綱を取つてもらつた。
道がすぐ崖の上に出た。右は山の側面であるけれども、馬は人の氣も察しないで左の崖の端を歩いて行く。そのわけを口取の親爺に聞いて見ると、毎日荷物を運んでゐる馬だから荷物が山の側にさはらないやうに端を歩く癖が出來てゐるのだといふことだつた。や
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