演出を意味するもので、古来からの伝統を破つて別の形式で演出を変更しようとしたものである。中には怪我の功名ともいはうか、一場の失策が意外にも効果的であつたので、それが一種の小書として遺つたものもあるけれども、多くは芸術的冒険者が苦心惨澹して工夫し出した伝統破壊の記録である。
小書といふのは能の曲目の左側に特殊演出の様式の名称を小さく書き記すからの呼びならはしで、それが諸流に夥しく堆積してゐる。例へば「高砂」の特殊演出としては、「流八頭《ながしやつがしら》」とか「八段之舞《はちだんのまひ》」とか「真之型《しんのかた》」とか「序破急之伝《じよはきふのでん》」とか「大極之伝《たいきよくのでん》」とか「真之掛留《しんのかかりとめ》」とか「作物出《つくりものだし》」とか「祝言之式《しうげんのしき》」とか「祝言之舞《しうげんのまひ》」とか、さういつた小書がある。もともと、一つの小書は或る一流に限られたものであつただらうが、次第に他流でもそれを真似るやうになり、今日ではどの流儀の創意に成つたのかもわからなくなつたほどに共通してゐるものも少くない。
小書が附いて特殊演出となると、さまざまの変化が生じる。或ひは役者に移動が生じたり(例へば「老松《おいまつ》」に「紅梅殿《こうばいどの》」といふ小書が附くと常は登場しない天女のツレが登場するとか、「絵馬《ゑま》」に「女体《によたい》」といふ小書が附くと、常は力神をシテとする流儀がそれをツレに廻はして、女神をシテに立てるとか)、或ひは舞が変つたり(例へば「老松」の「紅梅殿」でいふならば、真《しん》ノ序《じよ》ノ舞《まひ》は常はシテが舞ふのであるがそれをツレの天女に譲り、シテはイロヘ掛《がかり》の短い舞をまふだけになつたり、また「絵馬」の「女体」では、神舞を急の位でシテの女神が舞ひ、神楽《かぐら》をツレの天女が舞ひ、急《きふ》ノ舞《まひ》をツレの力神が舞ふことになつたり)、或ひはそれに従つて囃子がちがつて来たり、或ひは役者の扮装が変つたり、或ひは常は出さない作物を出したり、或ひは詞章が省略されたり、別の詞章を挿入したり、順序をちがへたり、更に或ひは演出の強調の要点が変つたりもする。これは五百年も六百年もの間、いつも同じ物を同じ行き方で演出するのに倦きて新奇を求めようとする心も手伝つてであらうが、それには役者の創意がなければ企て得ない仕事であ
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