メ沢の限りを尽したものだと感じた印象を忘れない。
それは一七八二年頃までの彼女の生活だったといわれるが、十年後には世界がひっくら返って、豪華なヴェルサイユ宮殿の女主人公は、見るもあわれな冷たいコンシエルジュリの石牢に押し込められていたのである。夫君は処刑され、子供たちとは引き裂かれ、石牢二箇月半の生活は、彼女にとってやるせないものであったに相違ないけれども、持って生れた尊大の気性と贅沢の習慣は、牢の中でも一日平均十五リブラの食料を消費していたと伝えられる。
その頃全パリは暴動化して、市民はすべて気ちがいの如く、悪魔の如くなっていたけれども、個人的には多少の例外もなくはなかった。彼女の付添役を命じられていた守衛《コンシエルジュ》のリシャールの如きは規則の許す限りの同情を彼女に寄せていた。ある日、彼女は新鮮な果物を欲しがった。リシャールはひそかに外へ出て、河岸で果物売の女を見つけ、一番良いメロンを買おうとした。果物売の女は守衛の擦りきれた服を見て、そんなにおえらい方の召し上り物ですかと皮肉に聞いた。そうだ。今までは一番えらい方だったが、今ではそうでもない。王妃さまの召し上り物だ。そう答えると、果物売の女はびっくりして、メロンを皆ぶちまけてしまい、お気の毒な方だ。金はいらない。これを皆上げて下さい。といった。
またコンシエルジュリの憲兵の一人は監視中いつも安煙草を吹かす癖があって、一晩中吹かしつづけ、換気のわるい石牢に煙がこもって、マリ・アントワネットが翌る朝青白い顔をしてるのを見ると、すまないことをしたと気づき、パイプを叩きこわしてそれっきり禁煙を誓った。
しかし、そんなことは彼女にとってどうでもよかった。彼女は石牢の中では王妃の尊厳を踏みにじられたことの憤激と子供たちを思ういたいたしい気持の間をいつもさまよっていた。たまに革命政府の許可を得て王妃に会見を求める者があると、付添のリシャールはいつも、どんなことを話してもよいが、お子さんのことだけには触れてはいけない。と忠告したそうだ。処刑される前に革命裁判の法廷に呼び出されて審問を受けた時、証人エベールという男は、革命裁判の意を迎えるためか、彼女にとって最も不利となるべき破廉恥事件を立証した。マリ・アントワネットは昂然として突っ立ったまま、それを無視した。陪審員の一人が、彼女の弁解しないことを指摘した。その時、彼
前へ
次へ
全11ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
野上 豊一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング