修したりしたことは、すでに述べた如くであるが、ローマを焼いて喜んだネロには、こんな窮屈な山の広さは気に入らなかったと見え、彼は飛び放れてエスクィリーノ山の方へかけて宏壮な「黄金御殿」を建てた。
私たちはパラティーノには長男をつれて二度見物に行った。初めは一九三八年の十一月で、その時長男はまだローマ大学の学生だった。その次は翌年の五月で、その時は彼は卒業してローマ大学の講師になっていた。初めの時は廃墟の間にアカントゥスが大きな濃緑を拡げていた。二度目の時はローマでは到る所で見られる赤い芥子の花が風に吹かれてひらひらしていた。その他多くの花を見たが、銭葵《ぜにあおい》の花が日本のと同じように咲いてるのを珍らしく見た。アカントゥスはポンペイでも見たが、特にパラティーノでそれを強く印象されたのは、コリントスの彫刻家カリマコスの逸話を思い出したからだった。カリマコスはローマに来ていた。或る日、パラティーノの町(ローマ・クァドラタ)を歩いてると、若い娘の墓の上にアカントゥスの葉を盛った籠が供えてあるのを見て、その美しさに目を留め、熱心に写生して図案化し、それで初めて円柱の冠頭を装飾したのがコリントス式の起りだという。或いは単なる伝説かも知れないが、参考のため書き留めて置く。
底本:「世界紀行文学全集 第六巻 イタリア、スイス編」修道社
1959(昭和34)年10月20日発行
底本の親本:「西洋見學」日本評論社
1941(昭和16)年9月10日発行
入力:門田裕志
校正:染川隆俊
2006年7月26日作成
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