顔ぶれで、演出はロバート・アトキンズだった、殊にジョン・ローリの行き方は全然私の予期しなかったオセローで、脊丈もなく、肩幅もなく、声量も十分ではなく、肉体的にはどう見てもハンディキャップされているが、それでいて情緒のさまざまな展開を不思議に自由に見せていたのは、一つは技術のうまいのにも因るのだろうが、一つにはまた『オセロー』の作品その物が『マクベス』とか『王《キング》リア』とかに較べて悲痛の成分を多分に盛られているから、演じ易いのではなかろうかとも思われた。(此の演出の印象については別に書くつもりだから、此処にはくわしい批評は略する。)
此の演出は、私の翻訳しかけている『オセロー』の表現にとっていろいろと考えさせられたり、反省させられたりした点があって、見てよかったと思った。
しかし、あまり芝居に気を取られていて、下の食堂のテイブルの申し込みを忘れ、二階の部屋でスープとオムレツだけの簡素な晩餐でがまんしなければならなかったのは少しつらかった。
四
次の朝は早めに起きて、食事前に、子供たちと市河君に絵端書を書いた。市河君夫妻は此のホテルの M. V.(ヴェニスの商人)の
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