sアの骨の埋もってる土地を見に行くのは、回教徒が聖地へ巡礼に出かけるようなものである。私にとっても、これまでたびたびシェイクスピアについて講義をしたこともあり、東京を立つ前には『マクベス』の翻訳を出したばかりではあり、『オセロー』にも手をつけたままで出かけて来たようなわけではあり、何かにつけてシェイクスピアには世話になってるので、かたがたお詣りしなくては義理が立つまいと思われた。

    二

 その日(十一日)午後二時ごろ、水沢君と工藤君と、水沢君が操縦して、私たちのハムステッドの家に迎えに来てくれた。
 ロンドンから郊外へ出て、磨き立てたようなアスファルト道路を一直線に西北の方へ駈けらして行くと、すぐ例の緑の絨氈を敷きつめたような牧場が行手にひろがり、そこここに桃の花が咲いていたり、黄いろいえにしだ[#「えにしだ」に傍点]の花がかたまっていたり、その間に鶏が群れていたり、牛が寝ころんでいたり、羊が歩きまわっていたり、農家のとびとびに見える岡の上には寺の尖塔が木立の間からのぞいていたり、平和なのどかな画面がつぎつぎに展開して来るのが飽きることなく眺められた。
 詩人クーパーの生れたバーカムステッドという小さい村を通るといかにも古い家々が太い材木の骨を壁の上に露出して、屋根瓦は苔で青くなって居り、前庭にはダフォディルや、名前は知らないが紫の美しい草花などが咲き出していた。気の弱い孤独な病身な詩人のことを私はしばらく思い出していた。しかし、彼が五十を過ぎて親切な女友だちに慰められながら『ジョン・ギルピン』や『ザ・タスク』などの詩を書いたオーニという村は、私たちの通ってる所から二十四五マイルも北にあることを地図で知った。
 沿道の郊野はどこも気持よく手入れされ、古いものは古いなりによく保存されてあるのが、私たちを喜ばしたが、バンベリの手前のエインホウという村ほど惹きつけられた所はなかった。その村は高台になっていて、南西にはオクスフォードが近く、北西はバンベリを経てウォリク、レミントン、或いはバーミンガムへの通路があり、交通の要路であったが、鉄道が開通してから淋しく取り残された土地と見えて、今まで見たどの村よりも古風な趣があり、まばらに並んでる家々は、多くは灰白色の石で畳み上げられて、或いは白堊で塗りつぶされたりしてるのが、いかにも古びに古びて、背景の美しい自然とよく調
前へ 次へ
全16ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
野上 豊一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング