ティ・ムッソリーニ、モンティ・ヴィットーリオ・エマヌエーレの名前が付いてるそうだ。
 エトナには熔岩流が大小約二百あると聞いたが、私たちもその内の幾つかを横断した。熔岩流については浅間の鬼の押出を知ってるから特に珍らしくは感じなかったが、北へ東へと数多く流れているのには驚いた。通り過ぎた熔岩流を越して、遙かの下の方に小さい山々が青く重なり、その向うに美しい海が横たわってるのを見下すようになるまでには、幾つも森林地帯を通ったり、牧場を通ったりした。森林には濶葉樹の大木が多く、牧場には羊が群がっていた。道路は幅広く、よく舗装されて、諸所に地名と標高が記されてあった。モンテ・サン・レオ一一八二米、モンテ・リナッツィ一二六二米、モンテ・ソナ一三七二米、等々。
 カパンニ・アツラというカフェ・リストランテの前に最後にバスは停まった。他にも一台バスが来て、部屋の中は遊覧客で一ぱいになった。皆思い思いの皿を注文して、まず腹をこしらえ、食後付近の原を歩いて見た。岩の間に菫やその他の小さい春の花が咲き出て、少し先の小高い所には雪が消え残って居り、真白なエトナの最高峰も手がとどきそうに近く見えた。しかし、エトナに登ってるつもりだったが、エトナは向側にあった。
 帰りはマスカルチア、グラヴィナなどの村を過ぎた。沿道には葡萄畑があり、果樹園があり、花が咲き、新緑が萌え出て、のどかな情趣に溢れていた。

    五

 しかし、カターニアの町に入ると私は少からず失望した。カターニア(カタナ)はナクソスと共に紀元前八世紀から聞こえたイオニア人の植民都市であったにも拘らず、来て見ると平凡な近代都市で、歴史的には殆んど見るべき何物も遺っていない。そのわけを尋ねて見ると、昔から各民族の断え間なき争奪戦に曝されて、古くはドリス人に、アテナイ人に、カルタゴ人に、またローマ人に、ゴート人に更に、サラセン人に、ノルマン人に、と、次第に荒らされ、破壊され、それに加うるに、更に恐るべきエトナの熔岩流と大地震に襲われて壊滅に壊滅を重ね、殊に一六九三年の震災は壊滅を完成し、潰れ残った家屋は僅かに五戸に過ぎなかったという。しかし、それにも拘らず、人間の神経麻痺性と健忘症は驚くべきもので、廃墟の上にまた新らしい都市が建てられ、今では人口三十万、シチリア第二の大都市として、巨額の果物・硫黄を産出している。此の地は気候がよ
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