トにも「聖書」から題材を取った画が少からずある。けれども、いわゆる宗教画と趣を異にする点は、その場合にも、彼は「人間」を描くことが本意であって、その人間の置かれた境遇を「聖書」の伝説から借りたに過ぎないことである。例えばハーグの「殿堂の披露」にしても、(それはハーグの「解剖講義」の前年、二十四歳の時の作品だが)、背景となっている殿堂の内部と大階段、大階段の上にうごめいている三四十人の人物はすべて暗さの中に退き、大階段の下に明るく浮き出している七人(赤ん坊を加えれば八人)の人物が中心である。その中でも、淡青色の長衣の胸に両手をあてて膝まずいているマリアと、彼女から赤ん坊のキリストを取って両手に抱えて、目を天の方へ扛《あ》げて膝まづいている金色の袍を着たシメオンが、主要人物である。マリアの傍に片膝を立てて鳩を持っているヨセフ、その前に立って右手を伸ばして祝福を与えている祭司の後姿、その他のラビたちは、従属的人物である。画面の右下のベンチに掛けてその光景を見ている二人の老人も従属的人物である。レンブラントのねらったところは、救世主の生誕を見て安心して死んで行かれるわが身の幸福を神に感謝するシメオンの心情と、シメオンの預言にわが子の偉大な運命を知った聖母の心情である。それが比較的小さい画面に、大幅のような構図で描かれ、明暗法や彩色法に力を入れてるので、性格描写が二の次になってるような印象を与えるが、その他の「聖書」からの画、例えば、ルーヴルの「エマオの晩餐」(一六四八年)とか、ドレスデンの「サムソンの結婚祝宴」とか、ベルリンの「サムソンとデラヤ」とかになると、殊に後の二つの如きは純然たる性格描写の作品である。
性格描写となると、やはり、肖像画の方が行動や背景の助けなしに幾らでも深く掘り下げて行く手腕を持ってるレンブラントだから、それ等を見て歩いて、天才の成長を跡づけて見ることは、楽しみでもあれば学問にもなる。ロンドン、パリ、ベルリン、ヴィーン、等、等、到る所の博物館に必ず幾つかのレンブラントの傑作は見出せるので、私は他の大家のよい作品を見て歩く間にも、常にレンブラントを捜し出すことを忘れなかった。そうして、その度に、ハーグやアムステルダムを思い出し、遂にオランダはレンブラントによって最も強く印象されるようになった。
[#地から1字上げ](昭和十四年)
底本:「世界紀行文学全集 第八巻 ドイツ、オーストリア、オランダ、ベルギー編」修道社
1960(昭和35)年7月20日発行
底本の親本:「西洋見學」日本評論社
1941(昭和16)年9月10日発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月9日作成
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