神曲
LA DIVINA COMMEDIA
淨火
アリギエリ・ダンテ Alighieri Dante
山川丙三郎訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)酷《むご》き海を

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)靈|淨《きよ》められて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)諸※[#二の字点、1−2−22]の

/\:二倍の踊り字(「く」を縱に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)うや/\しからしめ
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」

【】:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔fari`a beato pur descritto〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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   第一曲

かのごとく酷《むご》き海をあとにし、優《まさ》れる水をはせわたらんとて、今わが才の小舟《をぶね》帆を揚ぐ 一―三
かくてわれ第二の王國をうたはむ、こは人の靈|淨《きよ》められて天に登るをうるところなり 四―六
あゝ聖なるムーゼよ、我は汝等のものなれば死せる詩をまた起きいでしめよ、願はくはこゝにカルリオペ 七―
少しく昇りてわが歌に伴ひ、かつて幸《さち》なきピーケを撃ちて赦《ゆるし》をうるの望みを絶つにいたらしめたる調《しらべ》をこれに傳へんことを ―一二
東の碧玉《あをだま》の妙《たへ》なる色は、第一の圓にいたるまで晴れたる空ののどけき姿にあつまりて 一三―一五
我かの死せる空氣――わが目と胸を悲しましめし――の中よりいでしとき、再びわが目をよろこばせ 一六―一八
戀にいざなふ美しき星は、あまねく東をほゝゑましめておのが伴《とも》なる雙魚を覆へり 一九―二一
われ右にむかひて心を南極にとめ、第一の民のほかにはみしものもなき四の星をみぬ 二二―二四
天はその小《ちひ》さき焔をよろこぶに似たりき、あゝ寡《やもめ》となれる北の地よ、汝かれらを見るをえざれば 二五―二七
われ目をかれらより離して少しく北極――北斗既にかしこにみえざりき――にむかひ 二八―三〇
こゝにわが身に近くたゞひとりの翁《おきな》ゐたるをみたり、その姿は厚き敬《うやまひ》を起さしむ、子の父に負ふ敬といふともこの上にはいでじ 三一―三三
その長き鬚には白き毛まじり、二《ふたつ》のふさをなして胸に垂れし髮に似たり 三四―三六
聖なる四《よつ》の星の光その顏を飾れるため、我彼をみしに日輪前にあるごとくなりき 三七―三九
彼いかめしき鬚をうごかし、いひけるは。失明《めしひ》の川を溯りて永遠《とこしへ》の獄《ひとや》より脱《のが》れし汝等は誰ぞや 四〇―四二
誰か汝等を導ける、地獄の溪を常闇《とこやみ》となす闌《ふ》けし夜《よる》よりいづるにあたりて誰か汝等の燈火《ともしび》となれる 四三―四五
汝等斯くして淵の律法《おきて》を破れるか、將《はた》天上の定《さだめ》新たに變りて汝等罰をうくといへどもなほわが岩に來るをうるか。 四六―四八
わが導者このとき我をとらへ、言《ことば》と手と表示《しるし》をもてわが脛《はぎ》わが目をうや/\しからしめ 四九―五一
かくて答へて彼に曰ふ。我自ら來れるにあらず、ひとりの淑女天より降れり、我その請《こひ》により伴《とも》となりて彼をたすけぬ 五二―五四
されど汝は我等のまことの状態《ありさま》のさらに汝に明《あ》かされんことを願へば、我もいかでか汝にこれを否むをねがはむ 五五―五七
それこの者未だ最後の夕《ゆふ》をみず、されど愚《おろか》にしてこれにちかづき、たゞいと短き時を殘せり 五八―六〇
われさきにいへるごとく、わが彼に遣はされしは彼を救はんためなりき、またわが踏めるこの路を措きては路ほかにあらざりき 六一―六三
我はすべての罪ある民をすでに彼に示したれば、いまや汝の護《まもり》のもとに己を淨むる諸※[#二の字点、1−2−22]の靈を示さんとす 六四―六六
わが彼をこゝに伴《ともな》ひ來れる次第は汝に告げんも事長し、高き處より力降りて我をたすけ、我に彼を導いて汝を見また汝の詞を聞かしむ 六七―六九
いざ願はくは彼の來れるを嘉《よみ》せ、彼往きて自由を求む、そもこのもののいと貴《たふと》きはそがために命《いのち》をも惜しまぬもののしるごとし 七〇―七二
汝これを知る、そはそがためにウティカにて汝は死をも苦しみとせず、大いなる日に燦《あざや》かなるべき衣《ころも》をこゝに棄てたればなり 七三―七五
我等|永遠《とこしへ》の法《のり》を犯せるにあらず、そはこの者は生く、またミノス我を繋《つな》がず、我は汝のマルチアの貞節《みさを》の目ある獄《ひとや》より來れり 七六―
あゝ聖なる胸よ、汝に妻とおもはれんとの願ひ今なほ彼の姿にあらはる、されば汝彼の愛のために我等を眷顧《かへり》み ―八一
我等に汝の七《なゝつ》の國を過ぐるを許せ、我は汝よりうくる恩惠《めぐみ》を彼に語らむ、汝若し己が事のかなたに傳へらるゝをいとはずば。 八二―八四
この時彼曰ふ。われ世にありし間、マルチアわが目を喜ばしたれば、その我に請へるところ我すべてこれをなせり 八五―八七
今彼禍ひの川のかなたにとゞまるがゆゑに、わがかしこを出でし時立てられし律法《おきて》に從ひ、またわが心を動かすをえず 八八―九〇
されど汝のいふごとく天の淑女の汝を動かし且つ導くあらば汝そがために我に求むれば足るなり、何ぞ諛言《へつらひごと》をいふを須《もち》ゐん 九一―九三
されば行け、汝一|本《もと》の滑かなる藺《ゐ》をこの者の腰に束《つか》ねまたその顏を洗ひて一切の汚穢《けがれ》を除け 九四―九六
霧のために※[#「目+毛」、第3水準1−88−78]《かす》める目をもて天堂の使者《つかひ》の中なる最初の使者の前にいづるはふさはしからず 九七―九九
この小さき島のまはりのいと/\低きところ浪打つかなたに、藺ありて軟《やはら》かき泥《ひぢ》の上に生《お》ふ 一〇〇―一〇二
この外には葉を出しまたは硬くなるべき草木《くさき》にてかしこに生を保つものなし、打たれて撓《たわ》まざればなり 一〇三―一〇五
汝等かくして後こなたに歸ることなかれ、今出づる日は汝等に登り易き山路《やまぢ》を示さむ。 一〇六―一〇八
かくいひて見えずなりにき、我は物言はず立ちあがりて身をいと近くわが導者によせ、またわが目を彼にそゝげり 一〇九―一一一
彼曰ふ。子よ、わが歩履《あゆみ》に從へ、この廣野《ひろの》こゝより垂れてその低き端《はし》におよべばいざ我等|後《うしろ》にむかはむ。 一一二―一一四
黎明《あけぼの》朝の時に勝ちてこれをその前より走《わし》らしめ、我ははるかに海の打震ふを認めぬ 一一五―一一七
我等はさびしき野をわけゆけり、そのさま失へる路をたづねて再びこれを得るまでは 一一八―一二〇
たゞ徒《いたづら》に歩むことぞと自ら思ふ人に似たりき
露日と戰ひ、その邊《わたり》の冷かなるためにたやすく消えざるところにいたれば 一二一―一二三
わが師|雙手《もろて》をひらきてしづかに草の上に置きたり、我即ちその意《こゝろ》をさとり 一二四―一二六
彼にむかひて涙に濡るゝ頬をのべしに、彼は地獄のかくせる色をこと/″\くこゝにあらはせり 一二七―一二九
かくて我等はさびしき海邊《うみべ》、その水を渡れる人の歸りしことなきところにいたれり 一三〇―一三二
こゝに彼、かの翁の心に從ひ、わが腰を括《くゝ》れるに、奇なる哉謙遜の草、彼えらびてこれを採るや 一三三―一三五
その抜かれし處よりたゞちに再び生《お》ひいでき 一三六―一三八
[#改ページ]

   第二曲

日は今子午線のそのいと高きところをもてイエルサレムを蔽ふ天涯にあらはれ 一―三
これと相對《あひむか》ひてめぐる夜《よ》は、天秤《はかり》(こは夜の長き時その手より落つ)を持ちてガンジェを去れり 四―六
さればわがゐしところにては、美しきアウローラの白き赤き頬、年ふけしため柑子《かうじ》に變りき 七―九
我等はあたかも路のことをおもひて心進めど身止まる人の如くなほ海のほとりにゐたるに 一〇―一二
見よ、朝《あした》近きとき、わたつみの床《ゆか》の上西の方《かた》低きところに、濃き霧の中より火星の紅《あか》くかゞやくごとく 一三―一五
わが目に見えし一の光(あゝ我再びこれをみるをえんことを)海を傳ひていと疾く來れり、げにいかなる羽といふとも斯許《かくばかり》早きはあらじ 一六―一八
われわが導者に問はんとて、しばらく目をこれより離し、後再びこれをみれば今はいよ/\燦《あざや》かにかついよ/\く大いなりき 一九―二一
その左右には何にかあらむ白き物見え、下よりもまた次第に白き物いでぬ 二二―二四
わが師なほ物言はざりしが、はじめの白き物翼とみゆるにいたるにおよび、舟子《ふなこ》の誰なるをさだかに知りて 二五―二七
さけびていふ。いざとく跪き手を合すべし、見よこれ神の使者《つかひ》なり、今より後汝かかる使者等《つかひたち》をみむ 二八―三〇
見よかれ人の器具《うつは》をかろんじ、かく隔たれる二の岸の間にも、擢を用ゐず翼を帆に代ふ 三一―三三
見よ彼これを伸べて天にむかはせ、朽つべき毛の如く變ることなきその永遠《とこしへ》の羽《はね》をもて大氣を動かす。 三四―三六
神の鳥こなたにちかづくに從ひそのさまいよ/\あざやかになりて近くこれを見るにたへねば 三七―三九
われ目を垂れぬ、彼は疾《と》く輕くして少しも水に呑まれざる一の舟にて岸に着けり 四〇―四二
艫《とも》には天の舟人《ふなびと》立ち(福《さいはひ》その姿にかきしるさるゝごとくみゆ)、中には百餘の靈坐せり 四三―四五
イスラエル[#「イスラエル」に白丸傍点]、エヂプトを出でし時[#「エヂプトを出でし時」に白丸傍点]、彼等みな聲をあはせてかくうたひ、かの聖歌に録《しる》されし殘りの詞をうたひをはれば 四三―四五
彼は彼等のために聖十字を截りぬ、彼等即ち皆|汀《みぎは》におりたち、彼はその來れる時の如くとく去れり 四九―五一
さてかしこに殘れる群《むれ》は、この處をば知らじとみえ、あたかも新しきものを試むる人の如くあたりをながめき 五二―五四
日はそのさやけき矢をもてはや中天《なかぞら》より磨羯を逐ひ、晝を四方に射下《いくだ》せり 五五―五七
この時新しき民|面《おもて》をあげて我等にむかひ、いひけるは。汝等若し知らば、山に行くべき路ををしへよ。 五八―六〇
ヴィルジリオ答へて曰ふ。汝等は我等をこの處に精《くは》しとおもへるならむ、されど我等も汝等と同じ旅客なり 六一―六三
我等は他《ほか》の路を歩みて汝等より少しく先に來れるのみ、その路のいと粗《あら》く且つ艱《かた》きに比《くら》ぶれば今よりこゝを登らんは唯|戲《たはぶれ》の如くなるべし。 六四―六六
わが呼吸《いき》によりて我のなほ生くるをしれる魂等はおどろきていたくあをざめぬ 六七―六九
しかしてたとへば報告《しらせ》をえんとて橄欖をもつ使者《つかひ》のもとに人々むらがり、その一人《ひとり》だに踏みあふことを避けざるごとく 七〇―七二
かの幸《さち》多き魂等はみなとゞまりてわが顏をまもり、あたかも行きて身を美しくするを忘るゝに似たりき 七三―七五
我はそのひとりの大いなる愛をあらはし我を抱かんとて進みいづるを見、心動きて自らしかなさんとせしに 七六―七八
あゝ姿のほか凡て空しき魂よ、三度《みたび》われ手をその後《うしろ》に組みしも、三度手はわが胸にかへれり 七九―八一
思ふに我は怪訝《あやしみ》の色に染まれるなるべし、かの魂笑ひて退き、我これを逐ひて前にすゝめば 八二―八四
しづかに我に止《や》めよといふ、この時我その誰なるをしり、しばらくとゞまりて我と語らんことを乞ふ 八五―八七
彼答ふらく。我先に朽つべき肉の
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