負ふにいたれる者こゝに應分の罰を受く
第二十八曲
詩人等やがて第九嚢にいたれば鬼に斬られし多くの罪人あり即ち宗教政治の上に不和分爭の種を蒔ける者なり、このうちマホメット、ピエール・ダ・メディチーナ、モスカ、ベルトラムの四人ダンテとかたりて己と侶との事を告ぐ
一―三
【紲なき者】平仄押韻の制限なき者乃ち散文
七―一二
【プーリア】イタリアのナポリの王國を指す
【トロイア人】アエネアスと共にイタリアに來れるトロイア亡命の勇士等。古代ローマの東南に居住せるサンニタ人とローマ人との間に屡※[#二の字点、1−2−22]戰ひ起り(前三四三―二九〇年)サンニタ人遂に征服せらる
異本、ローマ人とありされどダンテはトロイア人をローマ人の意に用ゐしものなればその實同じ
【リヴィオ】ティトゥス・リウィウス、有名なるローマの歴史家(前五九―一六年)、『ローマ史』の著あり
【長き戰ひ】第二のポエニ戰爭(前二一八―二〇一年)とてカルタゴ人とローマ人の間に起れる戰ひなり、この戰ひの中カルタゴの驍將ハンニバル、プーリアのカンナエといふところにて大いにローマの軍を敗ることあり(前二一六年)戰ひ終りて後敵の死者の指より黄金の指輪を集めしに數俵の多きにいたれりといふ(リウィウスの『ローマ史』二三・一二及びダンテの『コンヴィヴィオ』四、五・一六四以下參照)
一三―一八
【ロベルト・グイスカールド】ロベール・ギスカール(天、一八・四八)、ノルマンディの勇將にてプーリア及びカーラブリアに君たり、十一世紀の後半サラセン人並びにギリシア人此等の地をロベールの手より奪はんとして軍敗れ南部イタリアを逐はる
【チェペラン】チェペラーノ。リリス河畔にある町の名、ローマよりナポリ王國に入る通路として重要の地なり、一二六六年シヤルル・ダンジュウ(カルロ・ダンジオ)、ナポリ王國を攻めし時チェペラーノの橋を守れるプーリアの貴族等私怨を懷いてその王マンフレディに背き、橋を敵の過ぐるに任し遂にベネヴェントの激戰となりマンフレディ戰場の露と消ゆ、註釋者多くはダンテのチェペラーノは乃ち間接にベネヴェントの戰ひを指せるものなるべしといふ
【ターリアコッツォ】アブルッツォ國の一城市(ローマの東)
【アーラルド】エラール・ド・ヴァレリ。フランス軍の將なり、マンフレディ殪れシャルル一世既にプーリアに王たるにいたりしも、マンフレデ
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